クレヨン


「好きなんだけど」
 そう、彼はいった。けど、のあとが続かない。けど、なによ。そう思ってしばらく待ってみたけど、彼は弱ったような笑みをうかべて、好きなんだけど、と繰りかえしただけだった。
 しかたなく、返事をした。
「あたしも、好きだよ」
 彼は、とびきりきれいな笑顔をみせた。


 彼はなんでもかんでもとっておくひとだった。ある日幼稚園の「おどうぐばこ」が出てきたときには笑った。ものを大事にあつかう彼にふさわしく、その「おどうぐばこ」はまだ第一線の現役にみえた。ちいさな子が、ちいさなふくふくした手で、はさみやのりを持ちあげるしぐさが浮かぶようだった。
「捨てないの」
「捨てないよ」
 応えた彼は、誇らしそうにつづけた。
「まだ、使えそうでしょ」
 あたしはいちおう同意した。はさみはまったく問題ないし、のりはかたまった部分をのければだいじょうぶそうだ。ちびてはいるけど、クレヨンも12色すべてそろっていた。
「でもさ、使うあてはあるの」
「ないけど」
「けど、なによ」
 彼は、ないけど、と繰りかえすだけだ。
「せっかくだから、どれかあげよう」
「いらないよ」
「まあまあ、遠慮しないで。おりがみなんか、どう」
 ふたりで折鶴をおってみた。折鶴しかおれなかった。
「こんど、おりがみの本を買っておこう」
「おどうぐばこ」に残っていたおりがみは、すべて折鶴に化けた。あたしたちは笑いころげて、そう約束した。おみやげには、全色が均等にちびたクレヨンを選んだ。
「これは細心の注意をはらって、おなじ背のたかさにしたものだ」
 彼はえらそうにいって、あたしにクレヨンを贈呈した。


 そのひとは、もうあたしの傍にいない。
 クレヨンは、箱ごとどこかへいってしまった。


(2002/11/12)