階段


 ごとんごとんと、骨を断たれる音がする。
 これはきっと、天国への階段。

   *

 ここ数ヶ月ですっかりなじみになってしまった接骨院の医者の顔は、今宵いよいよゆがんでいる。乾いたくちびるが、なにかいいたげに開かれているけど、それだけだ。通報をためらわせているのは、毎度のおれの態度。その日も笑顔を絶やさなかった。
 脱臼はくせになるという。なるほど最近のおれの左腕は、持ち主を忘れてしまったようなたやすさで、いともあっけなく肩から落ちる。痛みにもそろそろ慣れてきた。
 病院をでて、おれはくっついたばかりの腕をまわしながら、携帯をひっぱりだしててきとうに寝てくれる相手の番号を呼びだした。

   *

 タカアキ、なんでこんなんさせてんの。運悪くだれもつかまらなくて、けっきょくいとこのカズヒコのへやにいった。タカアキ、とおれを愛称で呼ぶひとつ年上の男だ。
 おれの腫れた頬をみてきれいな顔をしかめたカズヒコは、いきなり手をのばしてきて服をひんむいた。きいろやむらさきやらの痣でまだらになっているおれの胴体を発見して、さっきのせりふだ。タカアキ、なんでこんなことさせてんの。
 マゾだったんだとおおまじめにいってみたけど、反応してくれなかった。なんなんだこれ、といいつのって、わきばらの切り傷をなぞる。感じるからやめてくれる、といったらあたまをはたかれた。
「あいつ、まだいんの」
「出ていかねえんだもん」
「おまえが出てきゃいい。おれんとこ来ればいいだろ」
 カズヒコは熱心におれをくどいてきたけど、うすら笑いでかわした。カズヒコはまっとうなヘテロだから、いっしょに暮らしてもおれに手をださない。それじゃ意味がない。
「なに考えてるんだ、おまえ」
 帰りぎわ、カズヒコはぐったりと肩を落としていた。
「おまえがなにしたいんだか、わからないよ」
 わかんなくていいんだよ。おれはいとしいカズヒコの鼻のてっぺんに接吻を贈って、自分のへやに帰った。
 まっくらなそこにはだれもいなかったので、おれはもういちど携帯をひっぱりだした。こんどはひとりつかまった。そのままへやに呼んでセックスしてもらった。

   *

 シキが帰ってきたとき、おれはシャワーを浴びていて、それは図ったようにいいタイミングだった。抱いてくれた相手はすこしまえに追い出した。はちあわせ寸前の、いいあんばいだ。
「おかえり」
 おれが髪をふきながらでていくと、シキは無言で殴りかかってきた。すなおに殴られてやって、床にたおれこむ。こめかみが痺れる。
「どこ行ってた」
「いなかったのはシキじゃん」
「どこ行ってたのかってきいてんだよ」
 おれはぐらぐらするあたまをむりやりおこして、シキを見上げた。シキはすぐ昂奮するうえに体力がない。おれをにくにくしげに見下ろしてくる顔は怒りにゆがんでいて、もう息が荒かった。
「シキこそ、どこ行ってたのさ」
 そうかえして、ゆっくり身をおこした。背には壁だ。もたれかかって、ためいきをひとつ。すぐにシキの脚が飛んできた。あばらのあたり、続けさまに。
 蹴られて咳きこんでいると、シキはおれの胸倉をつかんでひきずり起こした。顔がちかづく。シキはぎらぎらとおれを睨む。
「怒んないでよ。カズヒコに逢いにいってたんだってば」
 キスできそうなくらいの距離でそうささやくと、シキの腕のちからがぬけた。つくづくカズヒコはすごい。シキですら信用せざるをえない絶対安全ぶりだ。
「シキ」
 おれはさらに顔をよせた。シキは眉をしかめて、おれを放りだした。
 床に背をうちつけながら、おれは笑う。シキはおれを抱かない。キスもしない。ただ独占したがる。その権利だけ主張する。
 こんな滑稽な執着を、ほかに知らない。
「なにがおかしんだよ」
 不愉快そうに吐き棄てるシキが、ふと気づいたように寝室のドアをみた。おれはひときわたかく笑って、ひといきついた。
「だれが来てた」
 床にのびてるおれに、生ゴミでもみてるみたいに嫌そうな顔をして、シキは近づく。
「だれが来てた」
 おれはもう声をあげて笑わない。ちいさくほほえみだけ浮かべる。シキはおれを抱かない。キスもしない。ただひたすら、独占したがる。権利だけ暴力でふりかざす。
 こんな最高の執着を、ほかに知らない。
「男」
 その返事にシキの顔がどす黒くゆがみ、足をおれの胸に乗せるのがやけにゆっくりとしてみえた。シキのくちびるが動く。おれの名をかたどる。
「タカアキラ」
 そのときだけ、シキはおれの名まえを呼ぶ。
 鎖骨のあたりにシキの体重がかかるのを感じながら、おれは声をださずに笑った。

   *

 ごとんごとんと、骨を断たれる音がする。
 これはまぎれもなく、天国への階段。


(2002/11/20)