由伽子



 北方謙三を読んでいるとき電話がなって、ほぼ同時に由伽子がへやに飛びこんできた。そのまま由伽子はもっていた文鎮でおれのこめかみをめったうちにしたから、あのときの電話がだれからのどんなものだったのか、おれは知らない。

  ○

 由伽子に殺された理由はわかってる。
 おれが由伽子の恋人だからだ。
 由伽子はだらしがない育ちかたをした。ほめられるのがなにより好きで、それ以外のことはほとんど嫌い。夢は自分が眠っているあいだに世界がすべて死絶えること。そうすればだれも文句をいわない、と晴れやかに笑った。
 由伽子には好きな人間が何人かいたけれど、その好きは「死ねばいい」とあっさりきって棄てられる程度の思いだった。だれも由伽子が自分自身を愛するほどにふかく愛されはしなかった。由伽子をこんなふうに育てた両親も、彼女がよく話題にする友人も、もちろん、おれも。
 むしろ好きになればなるほど、それは由伽子には障害に感じられてくるらしかった。ふかく好きになった相手ほど、由伽子の憎悪と殺意の対象になった。じゃま、じゃま、じゃま。あたしが眠るのにみんなじゃま。あたしに属するものみんなじゃま。
 死んでしまえばいい。
 そう喚いて泣き出すような女だったから、いつか由伽子がだれか殺すとしたら、それはまっさきにおれなのだろうな、と思っていた。

  ○

 由伽子に逃げるという発想があったとは思えない。由伽子は自分が自分以外でもっとも愛する、もっともじゃまになる存在を排除したことで、安心しきっていた。おれを殺したリヴィングに隣人に発見されるまでとどまって寝ていたから、精神鑑定にもまわされたらしいが、それが彼女にとってどれほどの意味を持つわけでもなかった。
 由伽子はいまも、幸福な顔をして眠っている。おれを殺したことに心底満足して、留置所の一角でしあわせな睡眠をむさぼっている。

  ○

 由伽子がみる夢を、幸福のかたちを、おれは正確に予想できる。
 どこまでもひろがる空虚な場所と、そこに眠るひとりぼっちの由伽子のすがた。


(2003/01/04)