通夜祭


 嫌煙家の叔父が肺癌で死んだ。

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「いちども煙草を喫ったことないひとなのに、信じられない」
 バイトが夜間のせいで、昼のあいだはドアに鍵をかけないまま寝ている陽司のへやにあがりこんで、くたっとした毛布ごと彼をふみつけてわめきちらした。
(めい)()さんのすることが信じられないよ」
 目をさました陽司は被支配民が暴君をみるようにわたしをみつめて、のそのそ起きあがる。コーヒーでいい、と寝ぼけたような声でたずね、わたしの返事をきかないままサイフォンをセットした。家賃が破格に安い瀕死のアパートに棲んでるくせに、陽司のもちものはむだに洒落ているものがおおい。
 畳にすわりこんでいるわたしが喪服なのに気づくと、彼は顔をくもらせた。
「塩、いる」
「いらない。出てないもの」
 忌中の紙をはった叔父の家の玄関先で、どうにもならなくなってひきかえしてしまった。
「信じられない。なんで肺癌なんかで死ぬの。あのひと煙草がきらいで、喫ってるひとのそばにはぜったい近寄ったりしなかった」
 陽司は、湯のみに淹れたコーヒーを畳のうえにじかにおいた。ひったくるようにして手にとり、熱く苦いそれを呑みほした。猫舌の陽司は自分のぶんをふうふう吹いている。
「明子さんのいいかただと、癌の原因がすべて煙草にあるみたいだね」
 肺癌と喫煙の関連性は、はっきり実証されてないんだよ。気のなさそうな声でたんたんといって、自身がチェーンスモーカーの陽司はそこらにほうりだしてあったマルボロのボックスをつかむと、百円ライタで火をつけた。
「こんなときにわたしのまえで喫わないでってば」
 悲鳴のように叫んで、ライタを持つ陽司の手を思いきりたたいた。陽司は目をまんまるくみひらいて、火がついたまま畳にころがった煙草をおった。
「火事になっちゃうよ」
 煙草を始末してわたしの正面にすわりなおすと、陽司はためいきをついた。
「だれが死んだのさ」
 そのことばを引き金に、わたしは叔父のことをまくしたてはじめた。
 叔父は言語学の研究者で、どこかの大学の助教授で、偏屈で頑固で独身で、そしてわたしの恋人だった。
 ああ、そうゆうなまなましい話だめなんだよねえと陽司はこまったように眉をしかめ、だいたい明子さんの恋人が死んだところでぼくにはなんの関係もないんだし、ともっともなことをいい、それでも狂ったように叔父のことをしゃべりつづけるわたしをとめることはできず、ただひたすらコーヒーをつぎたしていた。
 陽司がバイトに行く時間になるころにはしゃべることも尽きて、気がついたらいつのまにか彼はマルボロの吸殻を灰皿に積みあげていた。話に憑かれていたわたしが、とちゅうから煙草をたたき落とすのをやめたせいだ。
 のどが嗄れて痛む。わたしが肩をおとして沈黙すると、喫っていた煙草を灰皿におしつけて陽司はたちあがった。
「仕事行くから」
 気がすんだら帰ってね、といいのこして陽司はでていった。わたしは陽司がひきっぱなしにしているふとんに勝手にもぐりこんで、目をとじた。シーツをがりがりと噛みしめながら眠った。

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 目をさました時間に陽司はまだ帰っておらず、わたしは雨戸をしめていないへやの中央にうずくまった。うすぼんやりと朝の気配がする。
 意味もなく手をさまよわせると、陽司がおいていったライタにふれた。あたりをみまわすと、すぐに煙草のボックスがみつかった。
 1本だしてみて、生まれてはじめて、火をつけた。
 予想どおりにまずかったけれど、予想に反して咳きこんだりはせず、わたしは静かに煙草をふかした。
 煙が目にしみて、ぼろぼろと泣いた。嗚咽がおさえきれなくなってきて、ついには号泣しはじめたころ、陽司がへやに帰ってきた。まだいたのとおどろき、わたしのありさまをみて呆れ、コーヒーを淹れた。
「もっとしとやかに悼めないものなの」
 そのいいぐさに腹をたてたわたしは、へやにあるだけのマルボロをよこせとおどし、けっきょくその半分を陽司のとなりで喫った。のこりの半分は陽司が喫んで、きょうも仕事だからと彼が眠りにつくころ、わたしはようやく腰をあげた。
 今夜おこなわれる葬式には行こうと思った。


(2003/01/06)