だれも、知らない


 腹がたつ。むしょうに、腹がたつ。ひたすらこみあげてくる怒りを、どうぶつけてやろうか。助手席にのりこみながら、ハンドルを握るかれを睨みつけた。おどろかしてやりたい、思いきり。
「先生殺しちゃったから。死体は河口湖に棄てたからね」
 ドアを勢いよく閉めた瞬間、現実じゃない光景があたまのはしっこにうかんだ。つめたい湖に投げこまれる先生。妄想のカメラは水のなか、陽のひかりがゆらめきをさえぎって、黒い影になった先生のからだがまっすぐに降りてくる。
 かれは無言で、車を発進させた。

 翌日に、先生の殺害はニュースになっていた。

 事が大きくなって、あわてる。ハンニンノテガカリハアリマセン、しきりに繰りかえされることばに、安心していいものやら。河口湖をさらうニュース映像がくりかえし流れて、気分がわるい。
 先生を殺してなんかいない。ただのでまかせだ。それなのに、やってない、やってないと思うたびに、いかにも犯人っぽくひびくのはなんでだろう。まったくもって、気が急くばかり。
 じつをいえば、先生は隠れ家にいる。はやくそこを教えて、先生が死んでなんかいないってことを公表しなきゃならない。やってもいない事件の犯人だなんて冗談じゃない。
 告白文を書いた。むかし1年ばかし文通していたひとへ。ついてしまった嘘と、現在のさわぎと、ほんとうのことを。
 そのうちに、とうとう先生の葬式までもが営まれる。わざわざ出かけていって、ようすをうかがった。制服姿の女の子たちが泣いている。死んでいない先生の葬式なんて、いたたまれない。こっそり列のうしろから先生のやたらおおきい「遺影」をみていると、どうしていいのかわからなくなった。もうひとり、よく知る先生とすれちがう。見つからないよう顔をふせてやりすごした。
 先生。先生のいる場所。隠れ家。その場所がなかなか出てこないのはなんでだろう。
 もうだめだな。いろんなことを、あきらめる。
 おかあさんに電話して、ぜんぶ話してあやまろう。
 交叉点の公衆電話の受話器を持ったとたん、すべてを思いだした。
 
 思いだした、
 思いだした、
 思いだした。

 受話器のかたい感触で思いだした。ほんとうに先生を、殺してしまっていた。かたいものでめった打ちにして、めちゃくちゃにして、河口湖に棄てた。あてつけで口にしたはずのことばは真実だった。先生を殺してた。
 すがりつく。セーターの感触。だれか知らないひと。顔がちがう。でもきっと、おかあさんだ。
 隠れ家を思いだせない。告白文を投函したかどうかも忘れてる。記憶は穴だらけだ。先生をほんとうに、殺していたから。
 泣きながら、おかあさんに、あやまった。


(2003/01/04,2006/10/15改稿) せせせせせ先生ー!