1.

 皇族、とはいっても自分が仕える皇子は末端も末端、まちがっても王位継承争いには縁がない。それでも、皇子皇女は全員がその「試練」を受けるのがこの国のしきたりだ。結果は知れているけど、逆らうわけにはいかない。自分とほか数名は、皇子の従者として「試練」に参加した。
 当の皇子がひょうひょうとしているものだから、従者たちも気合がはいっていない。
「あれ、迷ったかなあ」
 宮殿の内部はあかるい。けど空間がごく平然とよじれているから、すごく気分がわるくなる。
「目印の銅像があるね」
 ぼくらは巨大な像の足元へ駆けよった。
 いつのまにかべつの隊と接近していた。彼女だ。おそらくこの「試練」を終えたら王となる、もっとも尊い血筋の姫。彼女が王となるのは暗黙の諒解事で、ぼくらとしても納得づくだ。それにしてもこの皇女はいつだって不機嫌でぴりぴりと尖っている。ぼくらの倍以上の従者がいてしかるべきなのに、彼女がそばにおくのは屈強な浅黒いはだの男ひとりだ。彼の名はモモという。
 皇女はぼくらをみて、さも汚らわしいといわんばかりにきれいな顔をしかめてみせた。彼女にとってぼくらの皇子は下賎の庶民と同等だ。ぼくらとて彼女の邪魔をする気はないが、すすむ道がおなじなのだ。しかたない。
 陽が落ちるのははやかった。洞窟で一晩を明かすしかなさそうだ。
「なんであたしがこんなとこで寝なきゃなんないの!」
 彼女の憤慨した声がきこえてくる。それでも、いちばんよさそうな場所をあてがったんだけど。
 ぼくはモモとおなじ岩棚で寝ることになった。彼の声はきいたことがない。いつでも押し黙り、威圧感をたたえ、それでも彼の皇女をみるまなざしは誠実さに充ちていた。ぼくは彼をきらいではなかったからいろいろ話しかけたけど、反応はもらえなかった。べつに彼の主のようにぼくを蔑んでいるわけではない。そういう性格なんだろう。ちょっとはがっかりしたけど気に病むほどでもなく、ぼくはおやすみをいって火を消した。


   2.

 それがやってきたのは、真夜中だ。
「よう、触ってみろよう、触ってみろよう」
 赤ん坊がすすり泣くような調子で、ひくい声がぶきみにひびく。嫌鬼(けんき)だ。闇のなか、ぶよりとした質感で、黄金がみどりに濁ったような色彩のからだがみえた。ほんとうに、赤ん坊のようにちいさい。
「触ってみろよう」
 ぼくが身をおこすと、ふとい腕が押しとどめてきた。モモだ。彼はからだを油断なく緊張させ、ぬるりと這ってくる嫌鬼を凝視している。
 嫌鬼は、それを目にしたものに途方もない嫌悪を抱かせることからその名を得ている。また彼らに触れることはできない。彼らのはだをおおっている濁った金のぬめりは、はげしい火傷の痛みをもたらす。それが嫌鬼同士だとしても。
 だから嫌鬼は、だれにも触られたことがない。
「触ってみろうぅぅ」
 それはぼくらのすぐわきまで来ていた。モモが槍をぐっと握りしめる。
「だめだ」
 ぼくはモモをとめた。なぜ、と見返してくる漆黒の目に、笑ってみせた。嫌鬼はもうぼくのひざに手をのばさんとしている。
「おれを触ってみろよううう」
 ひときわ高いすすり泣き。そしてぼくは、その嫌鬼を抱きあげた。
 愕然としたのは、モモも嫌鬼もいっしょだったらしい。嫌鬼のほうは愕然というよりむしろぽかんと口をあけっぱなしにして、ほんとうに赤ん坊のように無防備な表情をみせていた。そのようすがかわいらしくて、ぼくは笑う。
「……う、うう、う」
 嫌鬼はとりつくろうようにひくく唸り声をあげた。
「おれを、触っ……」
「触ってるよ、ほら」
「うううう、」
 嫌鬼は目にみえてうろたえだす。
「なんだおまえ、なんだ」
 触ってみろと挑んだにもかかわらず、いざ平然と触れられるとどうしていいかわからないらしい。嫌鬼の目からは、ほろほろと涙が落ちはじめた。
「おれには、だれも、触れないんだ。触ると焼け爛れるんだ。だれも触ろうとしないんだ」
「だいじょうぶだよ」
 ぼくは静かに応えた。
「火傷なんかしてない。だいじょうぶだろう、ほら」
 そういいきかせて嫌鬼を抱きしめると、彼は咆哮とも慟哭ともつかない声をあげて、必死の形相で身をよじるとぼくの腕からのがれ闇に消えていった。
「……おどろかせちゃった、のかな」
 ぼくは肩を落す。ふと気づくと、モモが近づいてきていた。ぼくの身の無事をたしかめるように、漆黒のひとみが腕やてのひらを観察し、やがて信じられないというように首をふる。
 あなたは、と掠れたモモの声がした。はじめてきく声。
 ぼくは笑ってみせた。
「特異体質なんだよ。嫌鬼はへいきなんだ」
 モモはまた首をふった。そのからだが震えているのに、ぼくはようやく気づいた。ちがう、とモモはうめくように呟いた。
「……あなたは」
 そういってモモがぼくの腕に触れたとき、電撃のようにその事実が身をつらぬいて、ぼくは自分自身の秘密をモモに知られたことを悟り、そしてモモがだれだかを悟った。


   3.

 ぼくの皇子も、ほかの従者も、だれも知らない。だれよりも正統な王位の継承者が、ここにいるぼくであることを。
 嫌鬼に触れても焼け爛れないのはそういう「血」を身のうちにもっているからなのだ。その「血」こそが、表向きの王家の家系よりもなによりも正統性をもつ、次代の王。
 そしてその事実を知るのは、一世代にふたり。
 その「血」をもつ本人と――――正統王を護る、「守」のさだめを負うもの。
 ふたりはかならずそろって生まれてくるとは限らない。生涯「守」に出逢えない王も、王を見いだせない「守」もいる。むしろそれが大多数だ。ひたすらに秘されるこのシステムは、ひとつには王と「守」の出現率が異様に低いせいでほとんど廃れた。ぼくは自分が正統王であることを教えられるまでもなく知っていたが、王は「守」なくしては王たらない。
 それで、よかったのだ。
 「守」も存在するとは思えなかった。皇子の従者として「試練」に同行し、仲間たちと次代の王について語る。ぼくらの皇子が王位につけないことは確実で、それでもしかるべき役職に就けられるのだろうと楽観的な憶測をとばす。
 それだけで、じゅうぶんだったのに。
 ぼくとモモは、出逢ってしまったぼくたちは、おたがいに凍りついたようにみつめあっていた。なにをいえばいいのかもわからなかった。
 もっとも、なにが起こるわけでもないのかもしれなかった。モモは現在もっとも王の座にちかい彼女に仕えている。このまま順調に彼女がこの「試練」を通過すれば、冠は彼女の頭上にかがやく。そしてきっと通過するのだろう。モモが、彼女だけの「守」が、ついているのだから。
 そう。
 モモは、すでにぼくの「守」ではないのだ。
 ぼくはぎこちなく彼に笑んでみせた。
「……気にしないで。きっと、なにも起こらない」
 とっくに絶えてしまっていて然るべき、「血」の束縛。
 もう仕える王を見つけているモモに、なんの不幸があろう。
 そしてとうぜんこのぼくにだって、王になる気はない。
 この意志は、くつがえせない。
 ぼくらはそれから無言のまま、落ちつかない気分で睡眠をとった。
 翌日も似たような道程で、ちがうのはさすがに疲れはてたのかモモの皇女が文句もいわなくなったこと。モモは彼女をかつぎあげようとしたけれど、その腕は強気な平手にぱちんとはらわれた。
 そのようすを横目でみながら、ぼくはちいさくほほえむ。
 王になった彼女と、もっともそばに仕えるモモ。
 とてもいい、と思った。
 それでいい、完璧だ、と。
 それは身をすくませるような予感から、目をそむけたいがための逃避かもしれなかったけど。
 大いなる存在の襲撃にあったのは、その日の夜営直前だった。


   4.

 正体の知れない生きものの急襲に、一隊は恐慌寸前になった。それはぼくも例外でなく――――ただし、みんなとはちがう意味で青褪めていた。
 その存在を、ぼくは知っていた。
 ぼくの血に刻まれた情報として、生まれたときから知っていた。

 正統王を喰らう、生きた闇のこと。

 彼らは基本的にいつでも餓えている。とうぜんだ。エサとなるべき正統王は、あきれるほど稀にしか出現しない。彼らは狂喜して触手をくねらし岩盤をくだいた。ぼくらは洞窟に飛びこみひたすら走った。出口はどこともしれない。そもそも出口があるのかもわからない。
 必死になって足を動かすぼくの目のはるかさき、皇女を抱きあげて猛進するモモの背なかが映った。
 ぼくはたちどまった。
 仲間がぎょっと目をみひらいて、すこしさきでやはりとまる。ぼくはみんなに首をふった。
「行って」
 みんなは泣きそうな顔をした。
 むりだよ、とひとりがいう。
 おまえが食いとめようったって、時間稼ぎにもならないよ。
 せめていっしょに逃げよう、とべつのひとりがいう。
 きみが動かないなら、ぼくらも動かない。
 ぼくも泣きそうな顔をした。
 大好きだ。
 そしてその大好きなみんなのむこうに、モモと皇女のすがたを思った。
 あのふたりが王国を治めるすがたをみたかった。
 それはほんとに切実な、泣きたいような思いで。
「行ってくれ」
 洞窟がおおきく揺れた。ぱらぱらと崩れている壁、天井。みんなはじりじりとあとずさった。ぼくは背をむけた。もう二度とふりかえらないつもりだった。
「――――ぼくは、あれを知っている。ひとりを食べたら、それで静かになる。はやく行って」
 ああ願わくば。
 やつがぼくを喰らうときの歓喜の咆哮に、ここが持ちこたえますように。
 みんなが、皇女が、モモが、ぶじに脱出できますように。
 やつがせまりくる。ぼくは閉じていた目をあけた。醜悪な闇を、その先駆の触手を、あまさず目におさめた。ぼくを喰らう太古の存在に、身ひとつでむきあった。
 ものすごい突風がふきつけ、最期の瞬間がおとずれた。


   5.

 こらえきれずにつぶっていた目をあけて、みえたものに悲鳴をあげたかった。
 それは氷のようにつめたくなったぼくののどにつまって、叫ばれることなかったけれど。

 モモが、ぼくのまえに立っていた。

 いや、かつてモモだったものが、ぼくと、大いなる闇のあいだに立ちふさがっていた。両手をひろげて触手をうけとめた姿勢。モモの胸、いや胸だけじゃなく、顔も腕も肩も腹も脚も、すべてが無残につらぬかれ、からだのあらゆる背面からつきだした触手はぼくの胸のすぐそばまでせまっていた。

 それで、終わっていた。

 モモの血をあびた触手は、奇妙につやのある紅味をおびた茶色をしていた。モモのからだも同様だった。両者は癒着し、巨大な琥珀のかたまりになっていた。
 凍りついた空気をつんざいたのは、皇女の絶叫だった。
 モモ、と彼女は血を吐くように従者を呼んだ。
 どうして。
 ぼくのすぐうしろで仲間の声がする。
 どうして、モモがきみを庇ったんだろう。
 もうずっと、さきまで駆けていたはずなのに。
 なぜ皇女の身を危険にさらしてまで、もどってきたんだろう。
 ぼくは――――こたえを知っていた。

 これが、「守」。

 モモの意志など――――モモの人格など、すべて無視して、踏みにじって。正統な王であるぼくを護るため動いてしまう、その血の業。
 皇女は琥珀となったモモにすがりついて慟哭していた。
 どうしてなのどうしてどうしてあたしのそばにいなかったのあんたはあたしのそばにいなきゃならないのにあたしだけをまもっていなくちゃならないのにどうして。
 あたしは大切じゃなかったの。
 あたしがいちばんじゃなかったの。
 護りたかったのは、あたしじゃなくてべつのひとだったの。
 狂ったように泣きわめく彼女をなすすべなくみおろしながら、ぼくは凍てつくような決心をした。

 王に、ならなくては。

 モモは皇女の「守」だった。
 なによりも、モモがそうでありたがっていたはずだった。
 それをねじまげたのは、ぼくのからだに流れる正統な血。
 この血を護るためだけに、モモは自分の意志をつらぬけなかった。

 ならば、ぼくは王になろう。
 そして彼女に真実を話そう。

 琥珀となったモモのからだ、もう原型をとどめていないそれの足元にくずおれて、世界など終わってしまえばいいと望んでいる皇女の泣き声をききながら、ぼくは彼女へ一歩足をふみだした。


(2003/09/29) 試練の前半はいろいろしょーもなかった