出口なし


「むりだな、降りられねえよ」
 ぐるりとあたりとみまわって、コウはそう結論した。
 おれたちは肩を落としたが、それはこの状況におかれてからどこかあきらめていたことだったので、ショックをうけたやつはいないだろう。このためいきは、じゃあこれからどうするか、という「うんざり」のためいきだ。
 コウとおれたちがいる場所は、奇妙な建造物のてっぺんだった。塔といっていいかもしれない。のっぺりと四角い、ほそながい塔。屋上はほぼ正方形で一辺は10mほど。おれたちを困惑させているのは、ここがほんとうに、ただの「でっかい四角柱」であることだ。
 すっぺりと平らなコンクリート床がつづくここには、建物内部へ通じる途がまったくない。外づけの階段がない。みおろす壁には、窓もとっかかりもなにもない。
「こりゃなんだ」
 おれはつぶやいた。どういう用途の建築物なのか、さっぱりわからないのだ。おそらく内部はないのだと思う。これはまさしく、ただのでっかい四角柱。てっぺんに置去りにされたら、ここから降りるすべはない。
 ふととなりの建物に目をむける。距離は3mくらいはなれているだろうか。これがこちらの塔よりひくければ、せめておなじ高さだったらよかった。みたところ、少々レトロなレンガ壁だがふつうのマンションだ。屋上に飛びうつることさえ成功すれば、なんとかなるだろうと思われた。しかしその屋上は、はるか頭上にそびえている。
 尻ポケットにねじこんでいた通信機がふるえだした。あわててひっぱりだしてアンテナをのばす。
「トウギか?」
『おう』
 ノイズのせいでききとりづらいが、きこえてくるのは別行動をとっていた仲間の声だ。
「どこにいる? こっちはコウたちといっしょだ。動きがとれない」
『ああ、そうだろうな』
 訳知りの調子に、もしやと思ってとなりのマンションをみやった。おれたちの位置からおそらく五階ほどくだった場所の窓から、トウギが顔をだして手をふっていた。
「なんだよ、そこにいたのか」
 よくみると、マンションの外壁にはトウギのいる階から非常階段が設置されている。なんとかなるかもしれない。気分が軽くなった。
「コウ!」
 腕をあげてみんなを呼び集めた。通信機をコウにわたす。トウギは窓からいったんからだをひっこめて、また首をつきだした。
『じつはこっちもかなり妙な造りなんだ。おれはこの階段で外からあがってきた。なかはふつうのへやにみえるんだが、どうもおかしい。どこにも繋がってないようにみえる』
「でも、そこは集合住宅かなんかなんだろう?」
 コウのわきにくっついてきき耳をたてていたおれは、つい口をだした。マンション内のへやが、そこだけ独立していて外からの階段でしかあがれないだなんて、そんなことあるものか。
『いや、どうやらまるごと個人の持ちものらしい。これで「一軒家」だ。たしかにどこかに繋がってはいるんだろう、そう単純に上や下の階に行けないだけで』
 奇妙な説明だったが、あまり気にもしなかった。すくなくともこの四角柱のてっぺんで立ち尽くしているよりは、よほど希望があるように思えた。
 コウはみじかく的確なことばでトウギにふたつみっつ指示をあたえ、通信をおえておれに機械をかえしてよこした。
「飛びうつるんだろ?」
「そういうことになるな」
 思慮深げに眉をよせて、コウはとなりのマンションをみつめる。
「あそこだな」
 かれはある窓の箇所をあごでしゃくった。おれもそこしかないだろうと思う。なんとか、ひとひとり分の足場はあった。そこに飛びうつり、窓ガラスをたたき割って内部に侵入する。そうしてのこりの連中も、ひとりひとり決死の走り幅跳びだ。
「おれがさきに行くよ」
 手をあげたおれに、コウは一瞬かんがえこんで、それから目をみてうなづいた。不安そうにみつめてくるのこりの仲間にも笑ってやって、おれは通信機をまたポケットにねじこむ。
 すこしからだを振っていきおいをつけてから、いっきにめざす窓にむけて跳んだ。

   ***

 ほんとうは、勢いのまま窓に体当たりしてそのまま部屋のなかに転がりこむつもりだったのだ。
 マンションの窓はどういうわけか強化ガラスで、ばいんとまのぬけた音をたておれのからだを弾きかえした。仲間の悲鳴があがるのをどこか遠くでとらえながら     それでもコウの声はきこえない、感じるのは強い視線だけ     のばした手がなんとか壁のでっぱりにひっかかった。体勢をたてなおす。
 さて、通信機の強度と、おれの腕力を信じるしかない。
 おれはまた機械を手ににぎりしめ、できるかぎり思いきり腕をふるとガラスにたたきつけた。
 ちいさく罅がはいる。そこを重点的にたたきまくると、割れるというよりははがれるように、ガラス片がぱらぱらとこぼれた。指をねじこむ。血がにじむ。かまわず手をつっこむ。痛みは思ったほどするどくない。これならへいきだ。ためらわずガラスをむんずとつかみ、みりみりと音をたて、むしりとった。
 ようやくはじめの思惑どおり、部屋のなかに転がりおちた。背中に歓声がきこえる。手が血まみれだった。いまになって鮮明に痛い。
 起きあがって手をふると、コウが笑った。
 それから、ひとりづつ順番に跳んで、まちかまえるおれが腕なり襟なりをひっつかんでひきずりこんだ。最後に跳ぶのはコウだ。かれだけはサポートを必要とせず、きれいに着地してみせた。
「トウギ、全員こっちに移った」
 通信機はやはり壊れたのかもしれない。おれの呼びかけに、トウギからの返答はなかった。おれらが飛びこんできた窓は、トウギが顔をだしていた窓と辺がちがうから、もうすがたを確認することができない。
「わるい」
 舌打ちしたおれに、コウは首をふった。
「それより、みろ」
 いわれてはじめて部屋の内部をみわたすよゆうができた。
「………子どもべやか?」
 この状況で、なんともそぐわない問いかけだった。だがそこは、子どもべやだったのだ。おそらくは女の子の。
 ふかふかしたじゅうたん、天井からつりさがるかわいらしいモービール、小花模様の壁紙がぐるりとおれたちをとりかこんで    
「え」
 それでようやく、おれは異常をさとった。コウはきっと、ここにはいった瞬間に気づいていたんだろう。
「窓は、おれたちがはいってきたところだけ?」
 そんなはずはない。となりのいまいましい塔からみたときには、こちらの辺だけでなく、トウギが顔をだしていた面にもおおきく窓があいて、その部屋のなかもみえていた。
「ドアもない」
 この壁のむこうには外からみた部屋があるはずだった。しかしこの「子どもべや」は、ちょうど逆の壁にドアがひとつあるだけの空間だった。
 なんだかわからぬままに、じわりと鳥肌がたった。
 トウギは、ここをなんといっていた?
(どこにも繋がっていない)
「まさか」
 おれは、はっと笑った。
 となりの部屋とここが繋がっていないのは奇妙に感じたが、かんがえてみればそれだけだ。ドアはある。そしてそこをあければ、きっと廊下だ。そしてそこからほかの部屋へいけるだろうし、玄関もあるだろう。外にでればこのマンションのエレベーターホールなりが。
(これで「一軒家」だ)
 ぞくりとした。
 ドアに駆けよったおれを、コウは止めなかった。おれは乱暴にあけはなった。
 また、部屋だった。
 こんどのドアは左右の壁にふたつある。
 右のドアをあける。
 部屋だ。
 正面のドアをあける。
 部屋。
 ドアをあける。あける。あける。
 部屋。部屋。部屋。
 これは、なんだ。
 全身がおぞけだつ。背中になにかが触れて、ぶざまに叫び声をあげたらそれはコウの腕だった。
「落ちつけ」
 やみくもに進むとすぐに迷うぞ、といわれた。
 迷う。
 そう、これは。
    迷路なのか?」
 おれの声はなさけなくかすれていた。
「なんだここ     ここは、迷路か? マンションまるごとが? いったいなんのアトラクションだ?」
 通信機、通信機は壊れている。ちがう。壊れたのではないのかもしれない。
「電波が遮断されてる」
 コウはしずかに断定した。
「なに、なんで……ここは、なんだ?」
 ああ、パニックになるかもしれない。どこかでひどく冷静にそう思った。いや冷静なんかじゃない。たぶんもうすでにパニックになっているんだと思う。コウが腕をきつくにぎってくれていなけりゃ、そこらじゅうをめちゃくちゃに走り回ってドアをあけまくって、そして迷う。迷う。迷ってもうどこにもでられずにさまよう。
 コウは落ちついた足取りで、油断なく目をくばりながら慎重に進んでいった。おれはひかれるままに歩いた。のこりの連中はどこへ行ったのか、きく気力がなかった。
「……あ」
 コウがあけた観音開きのとびらのむこうには、ぽっかりと穴があいていた。いやちがう。それは階段だ。
 階段!
 おれははっと目をみひらいた。
「コウ、階段だ」
 階段だ。くだりの階段。これをおりていけば。
「待て!」
 そのときのおれは、コウの制止なんかきこえちゃいなかった。いきなり力をとりもどしたおれの腕を、コウはとっさにおさえきることができなかった。
 階段、階段、階段!
 おれはゆるやかな螺旋をえがく階段を、夢中で駆けおりていた。コウが追ってくる。なにかいっているけど、きこえない。だって階段だ。まっすぐ下におりている。わきへそれることもなく、壁にさえぎられることもなく、地上まで!
 コウのこともトウギのこともほかの連中のことも、そのときのあたまのなかにはなかった。おれは出たかったのだ。こんなふざけた空間から、いっこくもはやく出ていきたかったのだ。
 おれは、

 ごめんね。

 とつぜん立ちどまった。追いかけてきたコウが背中にぶつかった。
「おい?」
 もう逃がすまいとするように、腕をとらえられた。おれはまばたきをした。
「声が」
「なに?」
 なにか、声が。
 おれはゆっくりと首をめぐらせた。
 声。
 ではなかった。
 下へ下へ駆けていたおれの足をとまらせたのは、階段の壁にはられた紙きれだった。
 ごめんね。
 A4ほどのサイズの紙には、そう書いてある。どうしてだが、すぐ耳元で、女の声で、そうささやかれた気になる。
 コウが気づいて紙にちかづいた。文はつづいている。ちいさな字で。
「ここは二重螺旋階段になっている」
 紙をにらんでいたコウは、やがてそういった。
「え?」
「最下層までつづいてはいるが、そこに外への出口はないそうだ」
「え? なに?」
 おれははんぶん泣きそうだったと思う。
「外にでるドアはないのか? 二重螺旋って、どういうことだ?」
「つまり、下につけばまたおなじ階数だけ上にのぼってくるしか道がない」
「そんな」
 へたりこみそうになる。じっさい脚から力がぬけた。コウが支えてくれなければ、たおれこんでしまいそうだった。
「なあ、ここは」
 いったい、とつぶやきかけたとき、コウのからだが緊張した。
「だれだ!」
 え、とあわててコウが誰何したほうへ顔をあげる。
 ほんの一瞬だった。
 女の子だった。
 5歳ほどの、ちいさな。
 あの、「子どもべや」にぴったりな。
 目視できたのはそれだけだ。女の子のすがたはすぐ闇にまぎれてしまった。消え失せたようにもみえた。
「だめなの」
 ほそい声だけがおれたちにふってきた。
 おれが感じた「ごめんね」の声と似ていた。でもちがう。年がちがう。「ごめんね」を書いたのは、成人した女性だ。そう、ちょうど、女の子の母親くらいの年齢の。
「だめなの。この階段は、ちがうの」
 声は次第にはなれていった。どの方角へ消えるのか耳を必死ですませてみたが、判断がつかない。
「ここからじゃ、出られない」
 女の子の気配は、かんぜんに消えた。

   ***

「ササハラ教授だ」
 おれたちは、はじめにはいった子どもべやにもどってきた。のこりの連中はそこで待機していた。おれひとり、先走ってしまったのだ。バツの悪い思いをしたので、コウのことばを乱暴にききかえした。
「なんだって?」
「ここはたぶん、ササハラ教授の自宅だろう」
「だれだよ、それ」
「天才だ」
 ふざけているのかと思った。しかしコウはいつもとおなじように、真剣だった。
「数学の天才学者だ、きいたことないか。女性ではじめて***のラボにはいった」
「女なのか」
 あの声を思いだした。コウはうなづいた。
「彼女には子どもがいた、といわれている。でもササハラ教授は子どもを外にだすことを望まなかった、とも。彼女の自宅は彼女が設計した。彼女独自の計算式にのっとって、常に道順が変化するんだ。ササハラ教授は自宅に取材陣がおしかけるのも嫌ったし、いちど熱烈なファンに家にはいりこまれた経験があって、それでそんなことをはじめたといわれている。とにかく、彼女の自宅にはいって、でてこられるのは、ササハラ教授がゆいいつだったということだ」
 みんな、しん、とした。おれだけでなく、コウをのぞく全員が初耳らしかった。
「……じゃあ、ササハラ教授が帰ってくればおれたちは道をしめしてもらえるんだな?」
 不法侵入の咎はなんとか説明してゆるしてもらうしかない。おれのことばに、コウはふとほほえんでみせた。
「ササハラ教授は伝説だ」
 ぐるりと部屋をみまわして。
「ごくわかい伝説。この話は、30年ほどまえのことになる」
「は」
 なにをいわれたのかわからなかった。
「教授はラボをねらったテロにまきこまれて、亡くなっているんだよ」
 では。
 では、おれたちがさきほどみた、あの子は。
「ひどい話だが、ここに閉じこめられたまま、母親のあとを追うことになったんだろう」
 そんな、とだれかが声をあげた。しかしおれのほうこそ、そんな、と叫びだしたかった。
「ちょっと待てコウ、じゃあおれたちがみたのは、……ゆ」
「そうかんがえるのがまっとうじゃないか?」
「まっとうって」
「おれは」
 コウはめずらしく昏い目をしていった。
「おれは、あの子どもが、母親が死んでからもずっとここで生きつづけていたとかんがえるほうが、このマンションのどこかにひっそりと亡骸が眠っているとかんがえるよりも、こわい」
 おれはことばをうしなった。
 そのとおりだったからだ。

   ***

 通信機はあいかわらずやくたたずだ。
「トウギに連絡がとれればな」
 おれたちのなかでいちばんあたまがいいのはコウだが、数字にかぎっていえば、トウギのほうが能力が特化している。
 おれたちは子どもべやを中心に、すこしづつ家捜しをはじめた。
 いまなお稼動している、ササハラ教授の巨大迷路。それを解く糸口が、すこしでもみつかればと思ってのことだ。もっとみつかったところで、コウのみでそれが解けるのかどうかはさすがにわからない。だからトウギと連絡がとりたかった。
「おい、これ!」
 ベッドルームをしらべていたやつが、昂奮した面持ちでとびこんできた。みんなでやつをとりかこむ。
「……なんだ、これ」
 おれにはただの無意味な数字の羅列にしかみえなかった。
「数式なのか、これ」
「おそらく」
 コウが目をほそめて紙をみつめる。
「解けそうか」
 ひとりがきいた。コウは応えず、爪をかんだ。
「……仮に数式が解けたとして」
 おれはよけいな口をだしていた。
「それがどの部屋のどういう動きに対応しているのかなんて…わからないじゃないか」
 コウが目をむける。失言に気づいたが遅かった。
「たしかにな」
 コウらしくなく投げやりに、紙をほうりだしてしまう。ほかの連中ににらまれた。まちがったことはいっていない、しかし自分でも落ちこんだ。
 おれは数学なんてからっきしだ。それでもなんとなく、その紙をひろってみた。
 あたまが痛くなるような数字と記号。
 なんどもなんども計算しているようなあと。
 いちど書いて、また消したあと。
 ―――――消したあと?
「コウ」
 なんだ、と無言で目をむけられる。
「ササハラ教授が、計算なんて書きだすのか?」
 しかもなんども検算なんかして。
 それにこの紙は、30年まえからここにあったというのか。
 おれは指を文字にのせた。すっとずらした。インクの筋がついた。
 コウが紙をひったくった。おれは指についた青いインクをみつめた。
「……なあ、コウ」
 ここからじゃ、出られない。
「……こわいことが、起こっているのだとしたら?」
 ササハラ教授の実の娘。
 30年以上、この迷路ととっくみあってきた頭脳。
 しばらくの沈黙のあと、コウは目をとじた。一瞬だけとじて、そして力強くひらいた。
「彼女を、さがそう」


(2004/10/17) 真賀田四季+CUBEですね