映画鑑賞−2010年1月 |
「キャピタリズム」 マイケル・ムーア監督 2009年/アメリカ いやー、日本も年金制度大崩壊しておりますことよ。とはいってもこれはアメリカ国民へ発信されている内容なので、べつにいいと思います。こういう内容でも Christianity は出てくるのかとあらためて感じましたが、かんがえてみれば大統領選にもでてくるか。こういう表現が妥当かどうかはちょっと迷うのだけれど、根深いな。しかし単純に監督が敬虔なクリスチャンであるということなのかもしれない。というかそうなんだろうな。ムーア監督作品ははじめてみましたが、すごくあったかい人なんですね。 「政治? 経済? むずかしいことはわかんない」 衣食住に不自由のない者が自分の生かされている社会の枠組みに無頓着であるのはやっぱり怠慢であるし、罪悪ですらあるのかもしれない。「すっごく頭のいい人が、正しいことをやっといてー」と思う気持ちがどうしてもあるし、強いものへ追従しておけば安全という動物的本能、つまり楽なほうへ楽なほうへ流れたがる本能はそれこそ根深い。 自分のあたまで考えるということは、あたりまえなようでいてけっこうしんどいのだ。なので「ジーザスも否定するはずだから、レッツノット資本主義!」というのはどうなんだ。あとラストのメッセージが「いまこそ資本主義のかわりとなるものを」なんていう流れだったから、それこそ社会主義とかいいだすのかとどきどきしちゃったぜ。(2009/01/10) 「戦場でワルツを」 アリ・フォルマン監督 2008年/イスラエル(ドイツ・フランス・アメリカ合作) 背景にある当時の情勢や起こった事件など、まったく知らないまま鑑賞。アニメーションで描きだされる主人公(=監督)の記憶は、光と影のコントラストが強烈でありながら陰鬱、しかしぎこちない動きと太い主線に色香すら感じられる絢爛さがあって、なにに近いかといえば作中でも言及されている「悪夢」ということになるんだろうか。非常に個人的な、というか、まさに一個人のトラウマを発見するだけの物語なのだが、すでに方々でいわれているようにアニメーションという手法が、その一個人をぐっと観客自身にひきよせる力になっている。それでいてラスト、まるで無造作にほうりなげられるのが、あの映像。作品の受け手は、ここまで濃密に共有していた主人公の視点から解放される。その瞬間、あたまが空白になる。できれば悪夢に淫していたかったと未練をひきずりつつ、それでもあれは自分の現実とはちがう、と一線をひいて、結局は距離をとろうとしてしまうんだけれどもさ。(2009/01/14) 「パブリック・エネミーズ」 マイケル・マン監督 2009年/アメリカ しょうもない犯罪者と、ふがいない警察組織の泥仕合、というおはなし? たいへんびっくりしたことに、ひとつもおもしろいところがなかった。2時間以上、厭かず画面に集中できたのに、でてくる感想が「さっぱりおもしろくなかった」ってのは我ながらどうゆうことだ。これ、ジョニー・デップがデリンジャーに配役されているからなんとかなった、というよりも、ジョニー・デップがデリンジャーに配役されたからこんなことになっちゃった、が近いんじゃあなかろうか。映画はデリンジャーをヒーローとして撮る気がないのに、ジョニデが演じるとある程度はかっこうがつくものだから、まったく魅力のないデリンジャー×とりあえずかっこいいジョニデ=なにこの人?になってしまって、だからやっぱり、クリスチャン・ベイルで2時間もったってことなのかもしれません、自分の場合。あと監督が銃火器になみなみならぬ思い入れがあるようなのは、よくわかりました。花火か爆竹かってくらいドンパチだったなあ。(2009/01/16) 「かいじゅうたちのいるところ」 スパイク・ジョーンズ監督 2009年/アメリカ 冒頭から繰りひろげられるマックスの「こども」っぷりがすばらしい。特にイグルーつぶされるくだり。おまえがはじめたんだろ、マジ泣きすんなよ!という姉の友人の気持ちもよくわかるが、こどもなんだよ。特にぐっときたのは、仕事を持ちかえってPC前で頭をかかえる母の足元に寝転んで、ストッキングの爪先をちょい、とつまむところ。おかあさんは仕事よりも自分をかまってくれて、だからこそ恋人といるときの態度の落差が悔しくてたまらない。そりゃテーブルのっかるさ。家も飛びだすさ。 絵本『かいじゅうたちのいるところ』の魅力というのは、傍若無人に暴れまわり、母にこっぴどく叱られてもかいじゅうたちの島へ行けば王さまになれる万能感と、好き放題やりつくしたあとにはそれでもあたたかい夕食が待っているという絶対の安心感であると思う。そのへん映画はシビアで、かいじゅうたちの島でマックスが直面するのは、腹をたてて逃げだしてきた場所とそっくりおなじ、社会的生物であるということの難しさだ。しかし家を飛びだしたマックスを、母は裸足(だったと思うけど)で追ってくる。戻ってきたマックスを抱きしめ、夕飯を食べさせているあいだに寝てしまう。この母子関係の確かさがこまやかに描かれていて、正直かいじゅうパートよりも感動的です。 しかしかいじゅうたちの造形はすんごい。積み重なって眠りたーい。(2009/01/17) |
・ |