2010年3月


1日(月)
だいたい7時半に家をでるのですが、最近は数分遅れがでたりする。で、その数分で小学校の通学班とぶちあたり、ある道ではけっこうポジション取りがたいへんです。

小学生たちは左折してその道にはいり、道の左側を歩み、十字路で右折して学校の正門へむかう。自分は右折してその道にはいり、道の右側を歩みつつタイミングをみて左側に移動し、十字路で左折して駅へむかう。

この「タイミング」とは、「班の先頭の子に3メートルほどリードをつけたとき」ですが、左折してくる班が3つくらい連なっていて、その最後の班が左折してくるときに自分が右折でその道にはいってしまうと、けっこうな早歩きですよみなさん。だいたい通学中の小学生はしゃきしゃき歩きます。きょうも何班か連なってましたが、第2集団の班長さん(先頭)とおなじくらいのタイミングで道にはいったので、よし、かわすのは1位集団のみだと思っていたらその1位集団の副班長さん(最後尾)が「いそげー」「いそげー」と声をかけていて、ちょっときみたち待ちたまえ、班と班のあいだにとびこむ気はないんだ、とざかざかがんばりました。

ごくたまーに、これに「道沿いの家から発進する自動車」なんかが加わると、どう動けばいいのか迷う。


2日(火)
「ポーツマスは岩から抜かれた、もうあの形をしていない」。

朝は小雨でしたね。さて通学班とのバッティングですが、きょうの位置取りはむずかしく、なんだ前方に15人くらいずらずらいるぞ、と思ったらどうも2班いるらしいのだけど、間隔がほぼゼロで追い上げてそこにはいることが不可能、さらにはこの人数全員ぬいて3メートルリードをとるにはこの直線はあまりにも短い、しかしそうなればぎゃくに追いぬきをかけず距離をとって後方にとどまり、全員右折しきってから左折せざるを得ない、という状況で。そういうときは、じつは小学生たちが通っている道の左側に面してますが1本ぬけられるルートがあるので、これまたタイミングをみて右側から左側にうつり、脱出。この「タイミング」は「最後尾の子から1メートル以上ビハインド」であり、たいてい前か足元しか見てない子どもたちに「なんかいきなり道を横切ってきた」と気づかれることなく去ってゆけます。でも前方の班ばかり気にしていると、後方が思わぬ距離にまでせまってたりするんだ。

ばあちゃんの調子はまちまちで、きのうは問題なくディにでかけ元気なようすでしたが、夜になってやはり手をかさないとだめな事態もあり。まあ食欲はあるのでへいきだ。

ところでメモって覚えたはいいけど使いどころのない冒頭一行は、きょうの夢でいわれたせりふ。


3日(水)
母とふたりで祖母宅へ行ってまいりました。ばあちゃんの足のことがあってから母が動けなかったため、2週間ぶり。未払いで電気がとめられてたり、未払いで電話がつかえなかったり、未払いで競売にかけられていたり、といった痕跡はなかったので一安心。

ゴミだししてないとか、洗いものたまってるとか、とにかく全体的にごちゃごちゃしてるとかはいつもどおり。天板がみえないテーブルの上をかたづけながら「ヘルパーさんもこういう有様みたらびっくりしちゃうよね」と母がこぼしておりましたが、うーん、でも、老母を抱えた独身男性の住居としては、そんなにめずらしくもないのじゃないかと思う。家政を母親がとりしきっていて、その母が加齢により手腕を発揮できなくなったとき、全国どこでも一定の割合で発生してそうなかんじ。そのうえ叔父本人が病人だし。でもその病人の薬の管理のあまさはどうかと思うな! 人生半分以上つきあってるとぞんざいになってくるんでしょうか。薬の種類が多いうえに、「こういうときは飲むけど、べつのときは飲まなくていい」とか「こういうときだけ飲めばいい」とかあるみたいで、あちこちにやたら錠剤の束がむきだしで放置されてるんですけど、余りなのかなんなのか、わっかんねえ。

家に帰ったら洗面所の床が水浸しで、父が新聞紙をしいていたけど原因は「知らない」とのこと。洗濯物が洗いあがっていたので、排水がもれたりしたのかな、と不安だったんですが、ばあちゃんの着替えがでたので洗濯機をまわしてみても異常なし。どうも父が風呂場でシャワーを使ったのが原因っぽい。いつも四方の壁(ドア部分含む)にシャワーをじゃんじゃんかけて水浸しにするのを好むんですが、たまたまドアがきっちりしまってなかったんじゃないかなー。その後、お湯をわかそうとしたらヤカンで牛乳をあっためたらしく、白い膜がかぴかぴにこびりついているのが発見さるる。「なんでこんなことするんじゃい」という声には「それ牛乳用だと思った」というこたえ、「牛乳用」ってなんだ、というかいいわけがばあちゃんそっくりだよ! ちなみに質問でなく怒りの声だったわけですけど、まあいってもしかたない、こないだは鍋のフタを使用してたしな。

自分か母が家にいれば、牛乳あっためてくれ、と使いだてしてことが済んでたんだなーと思うと、やはりふたりそろっての外出はむずかしくなっているのかもしれませんね。


4日(木)
たーべーすーぎーたー。きのう食べすぎたし、読みはじめた本にぐいぐいひっぱられて寝るの遅くなってしまったし、朝はちょっとうつろ。お茶だけのむ。

ひとまず職場にはいつもより1本遅い電車で到着し、コーヒーでも一杯飲もう、そうしようとお店にはいる。いつもならモーニングセットでクロックムッシュをたのむ流れだけど、ここは飲みものだけでいいなあーとうつろなまま注文をたずねられ、とっさに「クロッ」と発してしまい、ややおいて「……カプチーノおねがいします」。うつろなまま会計をおえると、レジの方がにこやかにトレイに番号札を置き「お食事は席までお持ちします!」。……ここでもしばらくうつろなまま、レジの金額にようやくあたまが追いついて「クロックムッシュ単品」会計になっていることに気づく。「すみません、カプチーノをたのんだんですが……」「あ、申し訳ございません!」「ええと、会計も変わってきますよね」「そうですね、差額が……100円です」ということで100円玉を会計皿に置いて、…………うつろなあたまでカプチーノ単品の値段としては高いことに気づく。で、結局「クロックムッシュセット(カプチーノ)」になってることに気づいたんですけど、もうそれでいいや、ってことで、朝からおいしくいただきました。おかげさまでなかなか元気です。

ゆうべ読みおわらなかった本をいまから読むとまたおなじ朝になってしまうので、寝る。


5日(金)
ディに行って帰ってきたばあちゃん、そこまでは元気だったのに、また足の痛みを訴えはじめたそうです。残ってた痛み止めをとりあえず服用させているけれども、どうかなー。膝に炎症が起きているから水がたまる、らしいのですが、根本的治療はできないし、ちょくちょく痛くなるようだとかわいそう。

……などなどのメールを受けとったのが、仕事帰りに「パレード」みるぜ!とチケット購入したあとだったので、もちろんがっつり観てから帰宅しました。なのでばあちゃんのようすはわからないのです。あす朝の調子はどうだろう。そしてあすから「午前十時の映画祭」はうちの地域では「ウェスト・サイド・ストーリー」です。「エデンの東」はけっきょく観にいけなかったのですが、よくみると午前10時以外に午後6時とかにも上映があったので、それなら行けたかもしれない。むう。午前十時ゆうてるのに。

映画後、駅でなにか改修でもやるのでしょうか、なんていうんだろう、二つ折りの長い腕の先に人がはいって高いところの作業ができるようになる重機。重機っていわないのか。まあそれが出ていて、ずいぶんひょろひょろ伸びたその機械の腕のバランスが好もしくて、でもさすがに作業員さんが先にふたりはいっている状態で、携帯のカメラを向けては失礼だろうなあと後ろ髪ひかれつつ帰りました。あれ、でもおととしの兄の入院中、病院のある山(斜面にへばりつくように建物があり、あちこち地下や渡り廊下でちがう階と接続していた)で遭遇した光景は人がいるのに写真撮ってるな。距離があったからな。

たぶん自分のこれは「高いところにのぼりたい」ということに終始するのではないかと。それもできれば「高くてせまいところ」に。さらにいえば「高くてせまくて安全なところ」に。


6日(土)
きのうの夜から、なんだか居間が草くさい。草いきれをもっと新鮮にしたかんじですが、フレッシュ=いいにおいという意味ではない。

原因としては、父が鉢植えの土にしきつめていたマテバシイの葉が、昨夜みたらこまかく切りきざまれていたので、そのへんかなとは思うのですが。なんでそんなことしているのかはわからねど。いや、たぶん「肥料」とか「植物にいいこと」とか「すばらしいこと」ひいては「家族のために」に終始したがるいつもの行動なんだろうけど。ああそろそろ春めいてくるので、虫との闘いの季節だ。げっそり。

きょうになってもにおいがキツいので、階下におられず自分のへやに退避していると、必然的に寝てしまうわけです(なにが必然か)。ばあちゃんはそこそこ不調のようです。そうすると二階もいろいろにおいがしてくるので、うーむ。

かんけいないけど、焼肉たべたい。


7日(日)
だから寒いと動けないんだな。

なにが「だから」なのか。ともかく基本的に家からというかへやから出ないですごした一日でした。腰痛い。寝すぎか。


8日(月)
帰りの電車、そこそこすいてる車内。目のまえ、カップルの女性が降りたあとの空席。背後のやや距離をおいた、別のカップルの男性が降りたあとの空席。さてどちらを選びますか。

べつにもったいぶるようなことでもなく、まあ自分は遠いほうの席へ座りましたが、帰宅してからなぜだったんだろうとかんがえている。なんとなく目のまえの、彼女さんが去ったばかりのポジションには座りにくかったので。空いた場所がなんかせまそうにみえたので。ぐるりと見まわしたら背後のほうもあいてたので。

まあ単純に、公共の場では同性のそばのほうがいごこちがいいということでしょか。

さて、帰宅したら母が友人からもらった花豆の煮豆と梅酒の青梅があって、どちらもおいしくいただいた。花豆の煮豆。はなまめのにまめ。じつはいまけっこう梅酒がまわっているようなのです。はなまめのにまめ。で、いま23時をまわっているんですけれども、今夜の選択肢がふたつ。

1)コーマック・マッカーシー 『ブラッド・メリディアン』
2)斉藤洋『白狐魔記 天草の霧』

たぶん、酔っぱらいははやく寝ろ、が正解。


9日(火)
バニラとフランボワーズ、2種のジェラートを、きんきんに冷えた器5個に盛りつけていきます。しかしどっち味もひとりまえしかない。それを5人にとりわけろっていうので非常にちんまい感じになる。ひとまずバニラを半分、フランボワーズを半分……ときれいに2色でドーム型になるようがんばっていくんだけど、器が冷えすぎてるのか、手に触れたらそのままくっついてしまいそうであぶない。のっけたジェラートもすぐかたくなるので成形がむつかしい。さらにはやっとこ4人分とりわけたところで、のこりのフランボワーズが溶けてしまい、最後のひとりぶんがつくれなくなってしまった。という、けさの夢のはなし。寒いんだよ。

台所で本読んでいたらもう午前2時になっちゃったけど、まだ雪ふってるんでしょうか……。


10日(水)
職場の友人とでかける予定でしたが、実家にもどっていた彼女が雪で足止めをくらって今回はお流れに。それならひとりで「午前十時の映画祭」に行こうかな、と思っていましたが、まあ予想どおりふとんのなかで足止めをくらったいちにちでした。いや7時には起きたんですが……もいちどふとんにはいりこんだら、そのまま午後1時まで……。雪のあとの曇りの日って、ちゅうとはんばにのこった雪がみじめに固くなっていって、なんだかたいへん寒々しい。

さいきんとみに屋根のしたのボヘミアンになっている母が、洋楽歌手のほぼ全アルバムをぶちこんだ携帯音楽プレイヤー(スピーカー付属)をつれあるいているのですが、きょうは好みの曲をセレクトしたファイルをつくろう、というので自分も曲順なんかに口をだしました。基本アルバムごとにずーっと聴いているので、それらを曲ごとにバラして並びかえるのはなかなかむずかしい。と思いましたが、そんなに曲数をえらぶわけでもないので、意外とあっさり、「おねむり」(4曲)と「DENK」(最初5曲、あとで追加して6曲)ファイルができあがりました。

「おねむり」はそのまんま、寝るまえにかけておく曲集。「これを聴きながら眠りたい」という曲がかなりみじかいものなので3曲めにもってきて、ちょっとながめなものをトリに配置。ばあちゃんがディサービスから帰ってくるまでの昼寝というか夕寝?にさっそく使ってみたところ、なかなかいいぐあいだそうです。「DENK」は選曲にかなり自分が口をだして、聴いていて元気がでるとか安らげるとかいうものではなく、「ちょっとへんなテンションになる」シロモノにしあがりました。満足。

ちなみに「DENK」とは「ど演歌」の略号です。


11日(木)
ゆうべ寝つきがえっらいわるくて往生しました。「おねむり」をかりればよかった。

「怒る」能力というのが自分にはなくて、原因は明白にチキンハートなことなのだけれど、臆病なだけならまだしも姑息なかんじがするなあとたまに思い煩うのだが、だからといって「怒る」スキルが身につくわけでもなく。ここでいってる「怒る」というのは、もちろん「不機嫌」とはまったくべつのもので、ことばにすれば「不当な目に遭ったとき、その不当さを主張できる強さ」ということになるんかな。まあ、そういう状況に陥ることがまずあまりないわけなんだが、たぶんその不当さが他人とのかかわりで生まれたものだったりすると、特になにもできないと思う。相手の主張を「ああ、そういうふうに感じてるのね」「それならばなるほど、自分のほうが悪いということもできるな」とうすらぼんやり容れてしまう。自分の感情とはまったくべつの部分でそうやって「納得」をさきにしてしまうから、ちっとも「怒る」ことが身につかない。ああ、 姑息というより怠惰というほうがしっくりくるかも。真髄はなまけものだからな。

むかしは父に怒っていたことがあると思うのだけれど、ああ壊れてるんだと「納得」してしまったので、面と向かって怒ることは2年まえにやめてしまいました。おかげで健全な怒りをだせない日々です。

でね、きょうは「ウェスト・サイド物語」を観てきたんだけれど、アニタはマリアをひっぱたいてあの窓から蹴落としてしまってぜんぜんかまわないと思うんだ。憎悪は不健全かもしれないけど、怒りは健やかでいられるのだから。


12日(金)
あれー、なんだ、また寝つきがわるかったぞ。たぶん春めいてきたから、身体がいろいろと、対応しきれていない部分が。

しかしとくに問題なく6時には起きて、いつもの時間の電車に乗って、いつものように仕事。しかし午後になったらなにかががくんと低下して、床にころがっていいといわれたらころがって寝てしまいたいくらいに、ねむい? だるい? つかれてる? なんかよくわからんけどしんどい、という状態に。

帰りに、退職する人がおいていったチョコレートミルフィーユを各自いっこもらっていってねーといわれて、「ありがと、奥さんへのおみやげにしよう」とひとつとった先輩のとなりで、銀紙むいていまにも口にほうりこみそうになっていた。そ、そうだよね、この場で食べてねって意味じゃなかったんだよね。でも結局ロッカー室にてひとくちで平らげてしまったよ。ちょううまかった。五臓六腑にしみわたった甘さにやられてしまい、地元の駅について、コンビニ寄って、チョコ菓子を買ってみた。ついでにフライドポテトも買った。食べた。

乙一『小生物語』のファミマのポテトに関する記述は、一言一句まことにもっともなんである。自分も小学六年のとき、塾帰りにはじめて買って食べたあの日の味が忘れられずにいまでもつい買ってしまう。というわけで、ぶじ家まで帰りついた。なんだ、単純にエネルギー切れだったのか。


13日(土)
朝はぐったりしていたけれど、午後からなんかもりかえした。きのうと逆。

ところで1年くらい美容院にいっていないんだけど、毛先の傷みぐあいが尋常でない。いいかげんに行かなくてはなあと半年以上ときどき思いだしてはめんどうくささにとりまぎれていっていますが、ほんとになんとかしなくては。


14日(日)
きのうは午後から元気になった、というのはそのとおりなのだけれど、じつはそれで調子にのりすぎて夜遅くまであれこれ動いて、最終的にはめまいできもちがわるくなってむりやり更新して寝た、というありさまでした。そんなわけできょうはいちにち眠っていた。これからも眠る。


15日(月)
自分の携帯は日本語変換がたいへんに不自由で、一例をあげると「炊飯器」が変換できないのだけれど、本日「加湿器」もむりなことが判明。ほかにもちょくちょく「え、これが?」と思う単語がでてこない。

んで、のどの調子がわるく風邪ぎみな母が心配です。病人と老人がのさばるので心配です。体調悪い母が心安らかに寝ていられる場所がありません。いや、わたしのへやで寝ていてもらえばいいのだけれど、かといって病人が老人のめんどうをみてくれるわけでもなし。

ひとつたしかなことは、こちらが弱るとあちらが増長するってことです。自分も体調万全じゃないので、よく寝て地力をつけてやる。


16日(火)
きょうはとりあえず、勝った。ひとまずあすの朝、不具合が家のどっかからまろびでてくるまでは、勝ちの気分が持続する。相手に戦闘の自覚がないのならば、本来その時点でこちらの敗北なのだけれども、ひとまず「いい気分で眠りにつける」ことがいちにちを勝利でしめくくったということなのだよ、諸君。

(仕事帰りに母と待ち合わせて「シャーロック・ホームズ」を観たのである)
(日付がかわるころに帰宅したところ家がわりと尋常な様子だったのである)

そんなことより自分は朝から胃がきゅうきゅうするんだ、ままならぬ他人と戦闘してないで、ままならぬ自分の体調のほうこそコントロールしなくてはならない。ひとまず、寝る。


17日(水)
にゅうめんを食べる夢をみて起きたので、昼ににゅうめんを食べたのですが、つゆを足にこぼしてしまいました。右の甲にちょっぴりやけどした。どうもうまくない。とくに落ちこんだわけでもないのですが。生活のなかにささいな瑕をこさえないほうがいいとは思います。

きょうもちょっとめまいがちなので、ディスプレイの文字がくわんくわんします。というわけでとりたてて不調ということではないのですが画面をみていられないのでこれにておやすみなさい。


18日(木)
友人と渋谷Bunkamuraザ・ミュージアムの「レンピッカ展」にいってきました。フライヤーやチケットになっている「緑の服の女」は、「つぐない」でキーラ・ナイトレイが着ていた緑のドレスを思いだした。ちょっとありえないくらいにえろいドレスだった、あれは。

帰ってから母にポストカードをみせたら、一見して「荒木飛呂彦(の絵)みたい」とのたもうた。「ん?」と思ったのもつかのま、ああなるほどとうなづける感想ですね。ようするに荒木先生の絵は絵画的なのだ。というわけであす発売のウルトラジャンプ4月号から3号連続で荒木飛呂彦先生祭がはじまりますよ。圧迫祭りとはちがうようですので興奮してきても顔に乗らないように。

3月もあっというまに後半にはいりまして、えーと、あれとあれとあれは観にいきたいからがんばるぞでも22日からフィギュアスケート世界選手権がはじまっちゃうぜ、デニス・テンはいったい今シーズン何試合シングシングシングってるんだろう。


19日(金)
キオスクの本屋で出勤前にウルトラジャンプを買いました。だってお昼休みに買いにいったら売り切れてるかもしれないじゃない。

そんなわけで読みつつ、読みつつ、読みつつ、とりとめもない思考を繰りつつ、気づいたら日付がかわるじゃないか。あまり生産的ないちにちではなかった。というかかたづけておこうと思ったことがあったのだけれど、必要なものがリビングに置きっぱなしで、リビングにはきょうも父が数時間かけてばんごはんを食べていたのでそういえば1時間くらいまえに階下でなにか転がる音がきこえたけれどもきかなかったことにしようと思っているんだが、ええと、ようするに雑事がリビングではできないので私物はすべてへやにひきあげてくるべきなんだった、思いだしたぞ。しかしリビングの前線まですべて撤退してしまうと、自室をのぞいて家のなかすべて彼にあけわたすことになるので、それもどうかと思うんだ。母の精神衛生上もあるし、父にとっても妻や娘と没交渉になっている、と感じるのはいいことではない気がするので。

なにより家も家族も自分の延長であるという意識の、自分と世界の区別がついていない人間を野放しにしている状況は、あまり気分がいいものではない。「おまえたちのために」「おまえたちがすごしやすいように」「ああこんなに苦労してほらこんなにすばらしい場所になった」というつぶやきとともに変容していく家のなかっていうのは、これ恐怖じゃないかな。というかいいかげん階下にようすをみにいって、いすから床にころがりおちてそこで寝ていないか確認だけでもしてくるべきか。なんか下から音がする、音がするとばあちゃんも反応してへたすると活発になる、もう日付こえてるのに。

そういえばシュルタイスはレプリカント時のルトガー・ハウアーよりシラス時のポール・ベタニーのほうが似ていると思いつきました。


20日(土)
きのうの記述はなんだかホラーな感じにしあがってしまいました。夜のわるい作用。

きょうは職場の飲み会だったので夜のいい作用でにこにこ眠りにつく予定ですが、風がびょうびょう強いのが気になりますな。あすはお天気荒れるようですが……。あとじつは、父が1時間くらいふろからでてこないのも多少気になるんである。でもさっきようすをうかがったら寝てるとかおぼれてるとかじゃないみたいなのでほうっておいていいか。

ここんとこ母がずーっとばあちゃんのようすを気にしないといけない生活をしているので、どこかで息抜きをしてもらいたいところであります。


21日(日)
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22日(月)
きのうは10時ごろには起きて活動していたのですが(おもにUJを読むとかSBR1巻から読むとかそんなん)、どうもからだの調子がよくないな、と気づいて、薬を飲んで横になったのが午後3時。いちど母に声をかけられたのはおぼえているのですが、それがおそらく夕方6時すぎ。つぎに気づいたのは日付変わった本日の未明、午前3時でした。おやまあ。

関節が痛かったり皮膚感覚がにぶかったり、まるで高熱をともなう風邪のようなかんじなんですけど熱はない、まったくない。でもたぶん風邪なんだろうなと思うので、きょうも寝ています。


23日(火)
月曜はうすらぼんやり熱がでてきたので、熱がでれば対処はできるとたぷたぷ水分とって汗かいて、ぶじ朝にはすっきりとめざめました。しかし熱ったって37℃もでてやしないのだ。


24日(水)
あの、寒いんですけど。起きたときは「お、きょうはあたたかいのかな」と思ったのですが、朝が最高気温で日中ぐんぐんさがっていくってなんですか。おまけに雨ふり。寒いんですけど。寒いんですけど。

父の通院につきそって、帰りは駅でお別れして、そしたらなかなか家に帰ってこなくて、あーもーやっぱり行きから帰りまできっちりつきそいしないとだめな域なんじゃない、なにかあってからじゃ遅いから、という結論になりました。「なにかある」例は大別すると「ひとりですってんころりん」系と「だれかをすってんころりん」系になり、圧倒的に後者がこわいです。やはりもう野放しならないのか。こうなったら父と映画を観て帰ればいいんじゃね? たぶん2時間寝てるけど。

最近のマスキングテープとふせんが垂涎すぎます。垂涎すぎる。なんだこのことば。ともかくみれば買ってしまう。10年くらいまえにスクリーントーンにつぎこんだ情熱にちかいものがある。でもトーンよりは単価が安い……ん、安くない? わからないや。買ってしまうときって値段みないからな。しかし春のおようふく代が半分くらいこれらのとどのつまりは「紙」に化けたんじゃないかなと思っている。

……と、いうようなことを文章ではなくぶつ切れ単語でつづってみたり、気になった雑誌のきりぬきをテープで無造作にはりつけて、ふせんでちょこっと飾ってみれば、ほらあなただけのオリジナルなコラージュダイアリー! みたいな? ……すみませんくるしまぎれ。いや、じっさい「お料理レシピ」とか「旅の思い出」とか「映画鑑賞記」とかをつくってみてね的な売り場だと思うし、そういう見せることを前提につくられるパーソナルではない個人の記録、には憧れている、のだと思う。しかしさいきんの紙ものの充実っぷりをみていますと、こう……メディアはかんぺきに整っている、しかしコンテンツがないんですけども、みたいな。このかわいらしい小粋なものたちで飾れる内容がどこにあるんだろう、みたいな。そういえば売り場にあった見本のコラージュノートは、店員さんがこしらえたのかしらーと思っていたらべつの場所でまったくおなじものがあったので、販促グッズにそういうものもあるみたいね。

小学校〜中学校のころ、クラスメイトがかわいい手帳をさらにかわいい感じで埋めていくのをすてきだなとながめていました。彼女らに「見せること前提」の意識があったかはさだかでないですが、あれはいったいどんな生活で埋められていたのであろう。日々のくらしのちいさな発見やおどろき、きょうあったことだけでなく、そのときのときめきやよろこびも、メモに残しておこう。自分だけのことばをシールやテープで囲んでみれば、それだけでちょっとしたアートみたい! というこころいきが自分には足りぬのか。

日常のどきどきといえば、デニス・テンがSP最終滑走だとか、そもそも第8グループはベテランと新鋭がえらい配分になってるとか、そういうことでしょうか! はじまったぜ世界選手権!!


25日(木)
あたまが痛いので録画も観ずにはやく寝ます。
あす……あす未明に自然と目をさますことができれば……できれば第2グループから……。


26日(金)
未明の3時半にとなりのへやのめざまし時計で起きました。母がセットしておいたらしいのだけど、当の彼女はすでに起きて階下で観戦準備にはいっているらしい。自分はひとまず寝とこう、と時計のあたまをぱこんとたたいてへやにもどりふとんにもぐりこみ、……しまったスヌーズアラームだ!と数分後にまた鳴りだした時計のスライドスイッチをOFFにきりかえにいって、6時まで寝ました。

きょうはあったかくなるってよ、といわれましたが、最高気温12℃ってそれはとくにあたたかくはない。だまされやしないぜ! きのうが寒すぎただけだぜ! と用心して服を選びました。

帰宅してから録画を観て、直前練習するシュルタイスのゆるゆるくるくるっぷりは、ジャンプのイメトレなのかスピンのイメトレなのか、といったことをかんがえています。


27日(土)
午後ちょっとひとねむり、のつもりが19時くらいまで寝てしまったな。テーマパークで大冒険、みたいな夢をみた気がするけどさだかでない。

女子FS生放送をさいごまで観るには体力がない……と思って録画予約したのに、結果がでる時間帯まで起きてしまっています。もう寝る。


28日(日)
さむい。くもりっぱなしで気温があがらない。世界選手権の録画を観る気力しかない。

とはいうものの、11日から車をほっぽりっぱなしだったので散歩にはいってやらねばなるまい、と午後おそくにおでかけ。バッテリの調子よりも砂まみれの車体をどうにかしてやらねばならないのかも。黄砂ってやつなのかも。メロウ。イエロウ。バナナムーン。


29日(月)
昨夜はむしょうに川原泉が読みたくなったわけなのですけど、枕元のジョジョ文庫をかたづけたら結局そのまま寝てしまったのであります。んで、朝起きたら寒いのでひじょうに機嫌がわるかった次第です。

なんだろう、去年もこの時期におなじような不調があったのだけれど、季節のかわりめなので交感神経とか副交感神経とかにかかわるものなんだろうか、あたまが痛い。べつにたいした痛みではなく、むしろ痛みというにはあまりにおおげさな、どこか奥のほうに芯がある違和感のような。にぶくずーっと存在しているその芯が、とけて流れたら鼻血になるんじゃないかっていう、そういう頭痛。じっさいは洟しかでない。

しかし寒いと腹だたしい。ダウンジャケットでまるまると肥えて出勤です。朝のニュースをみていてようやく気づいた、小学生は春休みか。どおりで歩きやすいはずだ。

さて昼も夜も寒く、おまけに風がつよく、あすも寒いというので、なかなかこたえます。リリエンタールの展開がひじょうにこたえます。た、たたみにかかってる……?


30日(火)
ああああもう本屋で雑貨屋で文房具売り場でならんでいるマスキングテープの種類の多さといったら、これはもう跋扈ではないだろうか。マスキングテープの跳梁跋扈。

漫画内で登場人物がしたためる手紙に「……」や「――」が使われているのが気になるこどもでした。文末が「――……」でフェイドアウトしてた日には、おいおい「ほんもの」の手紙にこんなん使わないだろ、と思っていたのですが、どうでしょう。漫画で登場するような手紙は友人間で授業中にまわすようなものでなく、だいたいがなんというか、秘密があかされるとか懺悔のねうちもないとかいうまじめな内容のものなので、そんな内容に「……」なんか使ってあるとわざとらしくてふざけてるみたい、と反発していた、のだと思いますが、伝えようとする気持ちがおおきすぎると修辞に走るもんなのかもしれないなぁとか、きょうも寒いぜちくしょーと帰り道あるいてて、ひょいと思った。

「なんとかしてこの思いを伝えたい」と書く段階で、すでに「創作」の域にはいっているともいえる。だから手紙って基本的には虚構なのであるなぁと、いまさらアナナスのことをかんがえたりもする。アナナスバナナスココナッツ。ええとね、マスキングテープの豊穣っぷりをまのあたりにして、なぜだか佐藤史生「阿呆船」の一節が思いおこされたのだけれど、それが正確には思い出せなくてちょっときもちわるい。そんなわけでこんなにもとりとめがないまま失礼いたします。


31日(水)
友人が参加している展示会に、母を誘っておでかけしようと決めておりました。ちょうど晴れたし、よい一日になりそうだ。ばあちゃんをディに送りだしたら出発だ。と思っていたら、「きょうは行かへん」がでてしまいました。ああもう。しかしこのタイミングの悪さ、というか良さ、いややっぱり悪さというのは一種の能力です。自分のめんどうみてくれる人の不在にはすごい敏感。

父とばあちゃんを家に残して都内まででるのはここ最近の傾向からいって冒険ですが、でもでもここは押しきらせてもらう! ということで10時には家をでました。帰宅したら家が燃えてたとか帰宅したら具合が悪くなってて入院が必要になったとかいう事態になってもかまうものかーという気でいましたが、これむしろ願望。そんくらいどっかりと物理的にいそがしくなる状況であればまだいいの、だいたい後始末が精神的にこたえるものごとしか起きていないの。せめてどっちかひとりが家にいなければどれほど平穏だろうか。

結論からいえば午後3時ごろには帰り、なにごとも起きていませんでしたよ。すばらしい。はやめに帰ったことでこちらにもよゆうができ、さらにふつうの後始末ですんだというのはすてき。

さてさて前後いたしますが、ギャラリーに足を運んだあとは、そのまま歩いて銀座の教文館へ。ここの6階はやっぱり金と時間をかけてでもくるべき空間だな。ちょう酸素濃かった。洋書コーナーにセンダック『まよなかのだいどころ』があったので購入。もともと持っていなかったのですが、お店で日本語版とくらべてみるとあきらかに色調が異なります。今回買った原書のほうが深めで好み。ところで奥付には25周年記念版、と書かれているのですが、なにをもってして25周年記念なのかは言及がなく。色なのかな。ちなみにガブリエル・バンサン『アンジュール』は、家にある日本語版よりえんぴつの線が淡い色にみえましたが、これは気のせいかも。その他ちょこちょこと、収穫が。

そんなわけで帰ってからも気分がよくあれもこれもできるぜ!って調子にのりかけたけれど、ここはセーブして、おとなしく。ちゃんと12時まえに寝る。



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