2010年4月


1日(木)
くるおしく眠い。

ようやくのあたたかい日でした。帰りに風がびょうびょう吹いてたけど、その風すらなまぬるく。まあここで油断させといて週末はまた真冬の寒さとかやられそうな、そんな覚悟はしておくけれども。

衣替えはまだ遠いと思っていたけれど、もう4月だし、ひとつき経てば5月だし、そうでもないかな。きのう、春夏服をちょっと整理しました。もともとは秋冬の着なかったものをあわせて処分するものをえらぶつもりだったのだけど、去年しまうときにけっこうちゃんと仕分けしたっぽい、意外と不要なものがすくなかった。持ちものをへらして身軽になろう計画が地味にきちんとすすんでいるではないか。じゃあこの秋冬服のもっさり感はなぜ……ああ、たんに寒いのか。厚手の服の量が多いのか。

それはそれとして「紙もの」の所有はじりじりと嵩をふやしつつあるのですが、さて。


2日(金)
出勤がてらに購入しました、『賢い犬リリエンタール』第2巻です。第1巻が赤、第2巻が青、という巻数を重ねることを見越していないかのようなデザインとともに、読みきり版が第3巻(7月発売予定)に収録されることをどう受けとめればいいのでしょうか。全4巻か、全4巻なのか。えんえんつづくことを望むわけではないけれど、まだまだ描ききっていないだろうという気がするので、せめて5巻まで……は……。

つい調子にのって春な服装(自分比)で出勤してしまいましたが、夕方は冬の格好が必要らしいよといわれ、朝からショックをうけたいちにち。しかしそこまで冷えることはなく、なんとか帰れました。

あとさいきんみっちゃんに惚れそうなので『保健室の死神』も買おうかしらと思っている。だれですか、「どっちもそろそろ終わりそうだね!」っていっているのは。自分だ。はは。


3日(土)
うちの地域でやっている「午前十時の映画祭」は、集客が見込める作品は日に2回上映したりするようだ。で、その集客の基準になるのはジェームズ・ディーンだったり、ジョージ・チャキリスだったり、アラン・ドロンだったりするのだろうか。

そんなわけで夕方の回で「太陽がいっぱい」を観てきました。日焼けしそう。

我が家にビデオ録画機が伝来した折、母はわりとまめにテレビ放送される映画をとっていました。手書きのラベルがついたVHSの背をながめたとき、題名がひときわ印象的だったのが「ライムライト」と「太陽がいっぱい」です。その際、母にざっくりとそれぞれのあらすじをきいたと思うのですが、どういうわけだかいっしょくたになってしまいしばらくは自分のなかで「ライムライト」と「太陽がいっぱい」は両方とも白黒映画で悲恋もので殺人もので殺人がばれるもの、という認識だったような気がいたします。さらに「雨に唄えば」とも混同して、白黒映画で悲恋もので殺人もので殺人がばれるもので傘ふりまわして歌う人がでてくる話になっていたこともある。


4日(日)
ほら寒いじゃないか、とひとまず怒ってみる。

友人の同僚が所属する劇団の楽日へ行ってまいりました。ああいう200席くらいのハコでみる演劇は、セットの箱庭感とかが非常に好きな気がします。ライトで朝昼晩がわかるとかすごいなーとしろうと感想。

それはそうと寒くてですね。花見どころではなくてですね。友人とも去年の夏ぶりに会えたからいいんですけど、寒いわけです。まったくもう。


5日(月)
長靴のなかでくつしたがどんどんと脱げていってしまうのはなぜなんだ。そしてどうしてか左足だけ。

うーん、散った桜の花びらがかわいたアスファルトをころころころがるのをみるのが好きなんですが、八分咲きで雨だなんて、落ちた花弁は茶色く傷んでいくばかりなので、つまらない。帰りはほわっと白く夜桜をみられてよかったですけれども。

きょうも紙を買ってしまってさてどうしよう。こんなにも「ゴミ」を買ってどうしよう。いやすべてのものはいずれゴミになるんですけど、いま自分が買い求めているシールとかマスキングテープとかワックスペーパーとかって、ゴミになるまでのサイクルが新聞紙並みにはやい気がするのです。「ちょっとしたお返しに」使えるスタンプでおめかししたパラフィン紙の封筒とかってそれゴミ以外のなにものでもねえ。しかし手のこんだゴミを作っている自覚さえあるのなら、それはそれでいいのかもしれない。

あとは単純にブックカバーを作ればいいんじゃない、とかようやく思いつきました。持ち歩き用ではなく、本棚に並べる用のブックカバー。個として主張しすぎて、ほかの本と背をならべるに向いていない単行本とかあるからね。


6日(火)
朝は霧がでてましたが、日中はぶじお日さまがでてきてぽかぽかになりました。これがあすにはもう雨っていうね。しかしあすはいいかげん前売り買ってある映画を観にいきたい。がんばる。


7日(水)
ばあちゃんの状態というのは、おもにみっつにレベル分けされています。

@ふつうのばあちゃん。あつかいにくさは通常レベル。ごはんをいっぱい食べる。

Aらんらんばあちゃん。らんらんとは眼光のことである。疑りぶかそうな上目づかいと悪意をたたえた口元に、じわりじわりと思い出話の毒が咲く。あつかいにくさは高レベルだが、家にいるときならばハイハイと呪詛をきいてあげてればたいてい鎮まる。病院の待合室で発現すると厄介。たんにおなかがすいている場合もある。

Bぽやぽやばあちゃん。別名ふんにゃりばあちゃん。たいへんおとなしいのであつかいにくさは低レベル、しかし生命力までぽやぽやとただよいでてしまった風情は不安を煽る。おねぼけモードを併発すると仏壇のまわりを駆け巡る馬だとか押入れの天袋に立つ人だとかをみるので、とてもこわい。ついにごはんのおのこしが発生したりする。じゃがいもを残すようだと重症。

なにかといえば、本日ディサービスの日なのですが朝からかるーくAだったようで、でも母がなだめて出発にこぎつけたようです。自分はなにをしていたかっていうと、すやすや寝ていたよ。ご、ごめん。夕方にはぶじ@状態で帰宅なさいました。

お昼に車をだしたら、黄砂で汚れた車体が雨に打たれてさらにこぎたない感じになった。夜はシネコンまで片道20qほど走らせたのですが、こんどはきれいになった。よしよし。

特別上映していた「ディア・ドクター」を観にいったのですが、客がいなくて貸切だった……CM類が終わったあと、10秒ほどなにも映らずまっくらになってしまったのでちゃんと上映開始してくれるか不安になったほどです。


8日(木)
ゆうべはしゃらしゃらと夜更かししていたら、夜中1時半すぎにおねぼけモードのらんらんばあちゃんの襲撃を受けました。とつぜんドアが開いたと思ったらばあちゃんが座っていたので、び、びっくりした。「懐炉に火をいれるためのマッチをかしてほしい」といわれました。寒かったのだろうか。それにしても怖かったので夜更かしなぞするもんじゃないと思いました。

それなのにきょうもふろにはいるまえにちょいと台所で本を読んでいたらそのまま読みきって夜更かしさんになってしまった……。そしてさきほどばあちゃんのへやからは電灯を点ける音がしたのです。ホラーの基本は音ですね。よしもう寝るぞ。2時じゃないかもう。


9日(金)
島田さんってば二海堂よりさきに表紙を飾るだなんて。

2日間の休日をあまり有意義にすごした気がしないようなそうでもないようなーという気分で、やや寝不足の朝。どうして山手線内回りの運転見合わせが自分とこの沿線に関係あるのだろう、と思ったけれどもひとまずぎゅうぎゅう混んでおりました。

『3月のライオン』第4巻がみあたらないよーと母からメールがとどいていたので、昼休みにちょっくら足をのばして本屋にむかう。ふつうに平積みでした。そりゃそうだ。地元は入荷数がすくなく売り切れてしまったのか、表紙をうっかり見過ごしたのか、どちらでしょう。見過ごすといえば、よくSBRの表紙を見過ごす自分はいったいなにをみて生きているんだろうな、とは思わないけれどもべつに、いやでも、なんで見過ごせるんだろう、やっぱりもっとよくかんがえたほうがいいかもしれない。

なんか最近、地元駅近くの喫茶店? レストラン? 定食屋? お酒もだすよ? 弁当宅配もするよ? な、お店のからあげサラダがおいしゅうてしかたない。きょうもあやうくふらふら入るところでした。なんて呼んでいいのかわからない、ちょっと離れたところに惣菜屋さんの店舗までかまえている、開店当初は喫茶店だった気がするお店です。で、けっきょくその惣菜の店舗のほうで鶏の甘辛あげ買ってかえって、5個いりだったのにあれ、ぜんぶひとりで食べちゃった。ごはんもすすみました。けふー。

まだ寒い、しかし庭と屋内の区別をつけない父とばあちゃんに後援された、虫との闘いの季節はすでにはじまっているのだ。


10日(土)
母からひょこっときいた、おとなりの介護事情もたいへんです。一度は薬の投与のしすぎであぶないところまでいって、最期かもしれないと家に帰ったら回復したのはよかったんですが、日に10回くらいは排泄の後始末が必要とのこと。もう15歳で緑内障もあるし、ほかにもいろいろなところが悪いらしい。そしてなによりも、犬は各種保険の適用外。一割負担ではなく医療費などを全額払うことになります。命ひとつ抱えるというのはどこまでも一大事であることよなあ。

一大事といえばですね。わたくし仕事帰りに「きょうはからあげサラダを食べるんじゃー」と母に呼び出しをかけたんですね(ちなみに「おうちでカフェごはんをカフェで食べる店」と呼ぶことにします)。母はばあちゃんと父の膳を支度して、庭でふらふら活動していた父にもう7時すぎたから家にはいってごはんを食べて、と声をかけて出かけたんですね。駅の改札で落ちあって、ふたりで飲み食い話して帰宅が10時すぎたんですね。

父の姿が見えず、食事手つかず。

風呂場をのぞいた母が「あ、おふろはいってたよ」というので、まあ家にはいるのに1時間(8時)、ふろにはいる準備するのに1時間(9時)、ふろにはいって1時間(10時)、でそんなもんかね……とは思ったのですが。「え、でも水音しないんだけど、だいじょうぶ?」「……ドアちょっとあけたら(湯舟のなかに)足がみえたから、それしか確認してないけど」ということで、念のため脱衣所から声をかけると、ひじょうにあいまいな発声しか返ってこないのでえいやっとドアをあけたら、音に反応して目を覚まし「うわ、あぶない」と自分の状況にびっくりしていた。つまり、寝てた。湯舟につかったまま寝ていた。これは一大事。

パーキンソニズムも認知症もあれですけど、母がいちばん疲弊したのは父が「食事中に寝る」ことなんですよね。最初のうちはおなじ食卓についてるわけですから都度声をかけたりしてたんですけど、こちらの食事が終わっても2時間くらいかかるわけです。声をかけるたび怒られるし、ひとまずほぼ食べおえてる皿を片づけようとするとやっぱり怒るし、のこりものを冷蔵庫にしまうところまで成功しても起きたら「どこやった! まだ食べる!」と怒るし、じゃあ寝てないで食えといっても寝るし、でも食うし。たぶん3時間〜4時間くらい椅子に座って八割がた寝てるんですけど、のこり二割の時間で意地でも食べる、みたいな。毎日毎日「ごはんはこれだけか」っていうなら一度寝ないで食べきってそれでもまだ足りないってときにいえよーとか。残すとしても、食卓には5皿から6皿は用意しなきゃならんのだよねめんどうくさい。

そんなわけで双方にとっていちばん精神を安定させる「放置」を選んでいるきょうこのごろ。誤飲には気をつけてあげてねと先生にもいわれているんですけど、放置。べつにナルコレプシーとかいうわけではなく、単純にからだを動かすのがしんどいので、夕方にはかなり疲れてしまって、眠くなっているだけっぽいんですけど。だけっていっても正常な生活リズムにのっていないのは問題ですけど。だから夕方から庭に出てうごめくのはよせといっているのに。虫も呼びこむし。

あれ、いま書きだしてみたらいちばんの異常行動はこの異常睡眠な気がしてきたな。毎日みてるとやっぱり麻痺してくるんかな。というかあのひといまから3時間かけて夕飯食べる気かな。


11日(日)
きのうにひきつづき、父の食事問題周辺事情をかんがえている。うちはべつに「介護」という深刻な事態に直面しているわけではなく、たんに妖怪を飼っているだけなんじゃないかとか、たまに思うわけですよ。ひたすら食べるだけの妖怪ってのがいるんじゃなかろうか。自分が食前食後にポテトチップスひとふくろ食べちゃうのもきっとこの妖怪の血だよ。おそろしい。

いきなり初夏の気温とかいっていますが、どうせまたあすには寒いんだろうというすっかり疑心暗鬼の春先。あ、でも公園でツユクサとヒメオドリコソウをみつけたのでうれしい。ハナニラが好きで、こちらはちょっとまえからご近所の庭先などでみかけます。虫が気になる季節ではありますけど、お花はやっぱり気分が華やいでいいですね。

意外とはやく公開が終わってしまいそうだったので、2月に前売り鑑賞券を買ってずーっと待機中になってる映画はちょっとあとまわしにして、母と「息もできない」を観てきました。現在の家族体制がまたぞろちょっと変化をみせるかもしれないので、4月中にがんばっていろいろ観ておきたいところです。


12日(月)
風の強い日の「こちらがわの自動ドアは締め切りです」、土曜日の「このビルに展望室はありません」、平日8時すぎの「上りエスカレーターの運転は終了しました」、などなどの立て札……といえばいいのか、とにかくそういうものが、いったいどこから出てくるのかなと思っていたんだ。きょう帰り、「え、そこがあくの!?」という場所から立て札を持ってでてくる警備員さんを発見して、むやみにうきうき。きょうのような雨の日、出入り口に出現する「傘降り場」もあそこから出すのだろうか。

まあほら、やっぱり、寒かったですよ。あすまたあったかいらしいんですけど、なんなんでしょう、なにがしたいの今年の春は。


13日(火)
仕事帰りに「第9地区」を観てきました。こんなにおもしろい映画を映画館で観たことがありません。

きのう発見した「そこがひらくのか」というドアですが、けさ警備員さんの背後に目をやったらふつうに壁にドアの線がはいっていて、なんてこった2年間気がつかなかったぜとがっくりしました。

しかしひきつづき、壁からでっぱっているその一角の中身の謎はのこります。たぶんぜんぶが倉庫というかへやではないはず、だってドアがせますぎるもの。シーズンになるとでてくるクリスマスツリーや正月飾りはそこから出てこないであろう。あ、でもたまにエントランスホールで演奏が行われてたりするんだけど、あの舞台とか椅子とかはあそこから出るんだろうか。でもドアのはばが狭すぎる……その場になったらもっと、壁全体がドアのようにぽこっと外れたりするとか……あるいは1階(エントランスは2階にある)の搬入搬出用と思われるエレベーターを使用して、その1階もしくはさらに地下にある(と思われる)倉庫からえんやこらとひっぱりだすのか。

入り口の警備員さんは何交代制なんだろうなということも、うすぼんやり気になりつつ、やはりビル清掃などの仕事に就かなければこの謎は解けないのであろう。


14日(水)
携帯電話のアラームが鳴ったと思って即切りしたら、幼なじみからの着信だったのですぐかけなおしました。朝でなくもう昼近かった。きっちり予定をたてていないと、やすみの日はいつまでも眠りつづけるな。それが証拠に通話をおえたのち、さらに数時間眠りをむさぼりましたよ。むさぼるってひらがなで書くと「むさぼりくらう口元」のふんいきがでると思います。

きょうネット通販した商品がとどきました。スタンプとかシールとかタグとかそこらへん。うきうきと母にみせたらおもにタグ類をさして「それどうするの?」ともっともな質問をされましたが、そのときわたくしひとつもあわてず「うっとりするの」と返しましたよ。実用的でないものをまえに人間がすることといったらうっとりする以外にあるものか。いや、実用に使ってるかたもいらっしゃるのでしょうけど。自分はせいぜい本のしおりがわりに挟むくらいしか「実用」を思いつかんな。しかしこのタグにたいするうっとり感は、「おみせごっこ」から脈々と受け継がれているのではないだろうか、といちおうルーツをかんがえてみた。

そしてまた別のお店で紙とか紙とか紙とか買おうと画策しているのでありました。


15日(木)
いくらなんでも寒い。さすがに家のなかは底冷えしていないけれど、外気はつめたい。そんなわけでまだクリーニングにだしていないダウンジャケットでまるまるとして出勤です。このところのパターンでいけば、冬の寒さのつぎには初夏のあたたかさがくるはずなのですが、……あしたも寒いって。なんなのこの春。

そんな4月も気づけば半ばです。ここ最近、各方面で低空飛行を続けている気分ですが、たぶんいちばんの原因は仕事がたのしいってことでしょう。あんまりよくない傾向なんだけど、「たのしいこと=仕事」という構図は。だからといってきらいになる必要はもちろんないのですが、せめて苦手でいたい。まあ「3連勤なんてしたら3日めは死にます」と放言してるくらいなので、ようは「勤務するのが苦手」という最大のハードルは依然存在するわけで、いいんじゃないかとも思いますが。

と、まあここまではあくまで自分の仕事にたいする立ち位置の話。もちろん「仕事が好き」で「好きな仕事に就く」も正しいことです。そんなわけで、母がおととしの兄の入院を機に辞めていた職場から声をかけてもらい、復帰することになりました。シフトが週に1回だったり、その他もかなり限定的な条件になるんですけれども、家の状況をかんがえれば願ったり叶ったりです。来週水曜からきてほしい、ということなので、ちょっと予定の調整をとりつつ。

いちばんいいことは、これで「母の都合」ができること。いままでは「ばあちゃんの都合」「父の都合」「実家の都合」をかいくぐるようにしてしか主張できなかった「自分の都合」を、仕事ありきということで優先できる。そもそも介護者の都合に被介護者がならう、というかたちでまったくかまわないはずなんですが、兄の退院といれかえに祖母が入院したことで、なしくずしにじりじり「都合」を殺されていって、被介護者の都合に介護者がならう、という状況に陥ったわけで。あいかわらず絶妙のタイミングでばあちゃんがちょっと不安定になってみたりしていますが、流れがきたので乗っていってしまえ。


16日(金)
つづけさまに寒い。やってられるかとひきつづきダウンで出勤なのです。ちょっとまわりをみまわせば、あかるい色のレザーとかでがんばっている女子がいっぱいです。春だものね。

寒いのがつづくと、もうなにもかもめんどうくさくなるわけ。寒さの入り口、秋口はおようふくを着るのもみるのも買うのもたのしいわけ。でもそのままずーっと寒い日がつづいて、暦のうえで春とかいいながらまだまだ寒い時期なんかは、もう防寒一辺倒になるわけ。正直そんな自分のかっこうに厭きてくるわけ。そこでようやくのあたたかな陽射し、ちょっと肌寒さを感じつつも着ぐるみをぬぐように春ものおようふくの登場とあいなるわけ。……それがあいならないわけなんで、毎朝の着替えに厭いてきました。

で、あすの予報は、……ゆき。


17日(土)
たしかに、雪だ。朝にはやんでいたようですけれども。

きょうは母とふたりで、父の今後を相談に病院へ行ってきました。いろいろと、画策していることはあるのですけれど、けっきょく本人に拒否されたらそこから進めない。家族からよりも先生から勧めてもらったほうがまだ効果があるだろうとの目論み。ぶっちゃけこっちの思いどおりに動いてくれるわけがないので、あまり気負わず、うまくいったらラッキーくらいのきもちです。

桜は散ってしまったけれども、病院最寄りの駅前では菊桃があざやかでした。


18日(日)
いやあ、寝た寝た。11時くらいにうすらぼんやり起きたけれども、その後19時くらいまですくすく寝た。こうなってみると父とのちがいは「寝る場所を心得ているか」のみになってきますね。あのひと、きょうも食卓で寝ているけれど。それはともかく、あたまが痛いのではやく寝ます。

寝ますといっておいてなんですが、先日から「おくらとブロッコリ ゆでて塩とごま油 ナムル風」がえらいおいしそうでこまります。つくってみるか。ナムルの素とごま油をつかったもやしナムルはよく食べますが、おくらとブロッコリーとかマジうまそうじゃね。

もっさり防寒スタイルに厭いてきたわけですが、ぼちぼちあったかくなって、でも今週末はまた冬の寒気がうんぬんとか、ああもうほんとに。例年ならぼちぼち夏のおようふくが出はじめる時季じゃないですか。


19日(月)
ことばが足りないとどことなくホラー。

母が職場に復帰することは父にも話しています。仕事をすること=いいことという絶対認識はゆるがないので、機嫌よく賛成してくれるのはいいんですけれども、意図がよくわからない質問をされたりもするので、それはちょっとめんどうくさい。きょうは職場の面子は母が勤めていた2年まえとおなじなのか、といったことを尋ねていて、「あの小さい人はまだいるのか」「坂の向こうからやってくる小さい人」とかいっていたそうです。さかのむこうからやってくるちいさいひと。そこだけきくとむやみに怖い。

駅から職場へむかう母の同僚と、家から駅にむかう父が、かつて坂道ですれちがったことがある。という前提を共有しないまま話をされてもよくわからない。どうにもこうにも自分と世界の区別がつけられないのは、病気だからではなく性質じゃないかと思います。「元からこんなもん」だと、そんなことばかり思っているな。だってまったく話の前提を共有しようとしない人っているし、そこを「認知症」といってしまうと、父は母との結婚当初から認知症ってことになっちゃうし。

じっさい、先生から「これこれこんな症状も認知症の一部です」といわれて、「じゃああのひと何年もまえから認知症だよ」と母がのちにつぶやいた回数はわりと多い。「野菜を10種類あげる」とかって、あのひともともと野菜を10種類も知らないんじゃなかろうか。


20日(火)
ゆでたブロッコリーに塩、だけでじゅぶん美味いのですが、ごま油くわえたら、ものすごい”あとひき”ブロッコリーに! あ、オクラも美味かったです。ごま油すげえ。


21日(水)
「きょうはあたま痛いから行かへん」。さわやかに晴れた、母の職場復帰初日の朝は、ばあちゃんのはきはきとしたディサービス拒否ではじまりました。母が起こしにいったらすでに起きていてこの宣言されたわけですが、あいかわらずすげえタイミングの図りようだぜ! 素でこれだから!

まあわたしが休みで家にいるし、ばあちゃんもにこにこと機嫌よく「あたま痛い!」といってるレベルなので、もういいよ休ませーというあっさりした流れに。陽気がいきなりよくなったからか、じゃっかん不安定な、らんらんばあちゃんになりかけの一日でした。

ちょうど1週間前とおなじく10時まえに幼なじみから電話があって、夜勤明けの彼女にそのまま家に来てもらって昼すぎまでだらだらと、どうしたらこのふくらはぎでクロップト丈を履けるだろうかというような話を。その後は本を2冊読んだくらいでとくべつになにかしたわけでも、しようと思っていたことができたわけでもないのですが、充実しただらだらっぷりであたたかい一日を満喫。このあと気温はさがるいっぽうらしいよ!

帰宅した母とは、今後の水曜日運営についてあれこれ話したり、なんだり。ばあちゃんがディに行く・行かない関係なく、自分にとっても家で起きたままだらーっとする日になればいいなと。起きたままっていうか、起きていないとだらだらできないんだよ。ここ重要。


22日(木)
今年の春夏服の商戦はどうなるんかな……。そんなことをかんがえて気をまぎらわせないとやってられない気まぐれ気候っぷり。

父の通院でした。なんかよくわからんけど持病とは関係ないところで食生活に指導がはいりそうだよ。しかし生活がおそろかになっていって自分のからだの管理ができなくなって、結果べつの病気を抱えこんだり、というパターンは多いんでしょうな。

きょうはききわけがよかった父の反応をみていると、やっぱりこのひとは「食べることは健康にいいこと」と思い込んで生きているんだな、としみじみしました。あと「スポーツは健康にいいこと」と思い込んでいるふしもあるよ。スポーツ選手はスポーツをしているので健康体だ、という錯誤。なのでそういった方たちの訃報を知ると「なんでだろう」とものすごくふしぎそうです。死ぬのに理由がいるのか。

ところでわたくしUJをまだ買っていない・読んでいないのです。あす朝買います。


23日(金)
ロッカールームの傘立てに南アルプス天然水のペットボトルがおいてありました。
ブース出入り口のゲートにドトールカフェオレのペットボトルがおいてありました。
そんな日の朝のミーティングでは一瞬どこからか墨汁のかおりがいたしました。

墨汁ってなあ、と思いつつ、午後ふと先輩にもらしたら「あ、さっき自分もしたよ、墨汁」といわれたので、気のせいではなかった。あとペットボトルはどちらも昼には消えていました。

べつに、だからどうというわけではなく。

連休前の飲み会にちょっとした景品を用意することになったのですが、最近わさわさ購入していた紙ものにいきなり用途が生まれてびっくりです。まあ自分をうっとりさせているよりも実用的なので、景気よく使ったろうと思っております。おとといのこと、タグとかスタンプとか封筒とかをざらざら並べてみたところ、幼なじみが「いいなあ、女の子っぽいよね」といっていましたが、正直この種の嗜好は「女の子らしさ」ということばがもつふわふわほわほわっぷりとは真逆の方向性を持っていますよね。甘いというより、くどい。


24日(土)
駅までの道にオオデマリの咲くお庭があるのですが、まあしばらく「ちっこいアジサイ」だと思っていたのですが、よくわからないのはすでに全身すべて緑なりのお花のかたちができあがっているのです、どうやってこのさき白く「咲く」んだ。去年もふと気づいたら白かったんだ。

仕事帰りに「アリス・イン・ワンダーランド」を観てきたら意外とおもしろかったのだよ。


25日(日)
水曜の飲み会、クジびきで景品をくばるので、せっせとナンバリングしていたら日付をこえました。ラッピングは簡素なんですけど……番号に時間が……そしてクジはまだつくっていなーい。あと別途お菓子もくばる予定で、そっちのラッピングは紐がけするのでちょいたいへん。ということであしたあさってがんばろう。

2009年に製作されてた「プリズナーNo.6」リメイクが5月から日本でもケーブルテレビのどっかでみられるらしいのですが……サー・イアン・マッケランがキャスティングされているではないか。当然No.2を演じるようで、さらにリメイクといっても新作なので、毎回サーがNo.2なのでしょう。あらすてき。そんなこんなで興味はあるけど、みなくてもいいような気もするし、そもそもさいきんTVをみるのが朝の時間だけだし。


26日(月)
7時半まえに家をでると、通学班とのバッティングはほぼなくなるのですが、それとはべつに気になる小学生とすれちがいます。男の子。まだ低学年。ランドセルに黄色いカバーがないので1年生ではない。

なにが気になるかといえば、ランドセルの肩ひも部分を力なくにぎり、うつむき、すり足で、ゆっくりゆっくり歩いているからです。毎朝これです。また、その子の祖父母とおぼしき人がたいていどちらか、少年が角を曲がるまで家の外に出て見送っているようすなのですが、少年はうしろをふりかえることもなく。その子の通学班との集合場所がどこにあるのかわからないんですが、ひとりだけで歩いているところしか見ていないこともあり、そんなに学校行きたくないなら休んじゃおうぜ!と思う。べつに気分が沈んでいるわけではなくて、その子はデフォルトであのロウテンションなんだろうかと思いきや、ごくたまに、下をむかず前をむいて歩くその子とすれちがうこともあって、多少ほっとしたりなんだり、勝手に人の家の子を観察しているわけなんですけど。

きょうの新たな発見は、その子の妹が今春から新一年生になっていたことです。おにいちゃんのあとを、やっぱりややうつむきかげんで、ゆっくりゆっくり歩いていました。だいじょうぶか、兄妹。


27日(火)
午後から断続的に左の下まぶたが痙攣しています。眼輪筋がピグピグしてきて凶暴な気分になってくるのとはちがいます。ところでこれは随意筋? 不随意筋? 俳優さんとかときどき顔のこまかいところつかって演技をしているけど、表現力ってのはつまり身体の動かし方の技術なんだよな。自分の体の使い方を知っている、そのうえでイメージどおりに動かす技術を持っている人が、表現力があるってことだよ。

あす横なぐりの雨のなか出勤すれば、その後7日間の連休です。動ける日は意外とすくなかったりするんですけど、連休明けに「なにもしなかったぜ」とぐったりしない程度には動きたいです。


28日(水)
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29日(木)
ゆうべは飲み会2時間→カラオケ2時間で日付かわってから帰宅でした。でも残ったメンバーは2時半まで延長していたらしいぜ……! みんなげんき! よい連休を!

で、そんな連休初日は予想通り1日寝たおしていました。だいじょうぶ、勝負はあしたからだ。「寝ているとぐうたらできない」、このことばを胸にきざめ。


30日(金)
うちにいるのは妖怪じゃなくてハイジだ!

先日、どっかからとってきた草?花?をもさもさっと花瓶につっこんで満足げだった父が、「きれいだろう」と同意をもとめるのを3回ほどスルーしたのち、「自分は家のなかに外の草花がそのままのかたちで持ちこまれるのは好きではない」といってみました。そしたら「そうなのか!」と驚いたのち、ちいさな声で「だって草が家のなかにないとおかしくなるのに」とつぶやいたので、ああいつかばあちゃんがいってたのと同じことをいってるなと思い、そこでふいに合点したわけです。

これはフランクフルトに連れてこられたハイジだよ!

父が育った家のまわりは山と川と田んぼで、庭は家の床面積より広くたっぷりありました。なるほどあの家でなら、木も草ももじゃもじゃと生やらかして、家のなかにまで侵入していてもおかしくない風情です。たぶん父がこの家で再現したいのもその風景なんでしょうが、いまの庭のひろさ(せまさ)と隣家との距離をかんがえるとあきらかにバランス感覚を欠いています。でもそれもハイジの郷愁のなせるわざなのです。というわけで自分はロッテンマイア女史ですな。アーデルハイト、土を、虫を、家のなかに持ちこまないで! なんてお行儀の悪い子どもでしょう! ところでヨハンナ・シュピリの盗作疑惑はどうなっとう。

そのうちのハイジですが、本日4時に予約していた歯医者に3時45分ごろでかけていって、7時半に草をもさもさと抱えて「迷っちゃったんだよな」といいながら帰ってきました。たぶん帰りに川原で草をうきうきむしっているうちに薬がきれて動きがわるくなりさらに暗くなり家に帰る道がよくわからなくなり……あー!! やっぱり携帯電話を首からさげる! 持たせても使えないからと思っていたけど、かかってきた電話をとることぐらいはきっとできるから!!

ひとまず帰ってすぐ薬は飲ませましたが、そのあとおふろにはいってさあもう寝ろよと思っても「ごはんを食べなきゃならない」と思いこんでいるので、いちおういったんかたづけた食事の用意を。いま10時すぎなので、まあ11時までには食べてくれるよう、そんでとっとと食べ終わってくれるよう、みはります。うちのアーデルハイト、夢遊病にはなってないけど、食べながら寝るから。寝ながら食べるから!



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