2010年8月 |
5日(木) これはきっと夏にやられているのであろ。 そんなわけでここ4日はぐったり、ぐったり、ものすごいびみょうにあたまが痛い。なんで痛いのかよくわからないのである。あまりにも痛みがびみょうなんで腹がたってくるのである。それはともかく、きのうが発売日だった『賢い犬リリエンタール』第4巻にして最終巻をなんとかどうにか買い求めて、アコーディオン! アコーディオン! という気分でいるのだけれど、それよりはじめによった本屋ではリリエンタールと『保健室の死神』新刊がおいてなかったわけでそれはいったいどういうことか。たぶん入荷数がすくないので、きのうで売りきれてしまったのだと思いますけど、ネウロも発売日の翌日行ったらなかったことがあったし、とにかくロン毛と美っちゃんがどこにもいないんですけど、なんてことになっていた。ゆるしがたい。 で、もう一軒だけある本屋さんでリリエンタールはラスト1冊を購入したわけですが、保健室はどこにも見当たらずあす以降ですよ。三枚看板(たぶん)の新刊はどこどこ積んであるのに。せちがらいのである。 7日(土) 1日の記述は消してしまって、2日〜4日、6日はそもそもなにも書いていなかった、そんな夏負けの状況です。くってり。負けてばかりもいられまいとちょっとお買いものなんかしてみましたが、だめだ、いろいろと、よゆうがなくなる。いやお金でなくて。いやお金もなんだけれど。ものが増えるだけで、きもちのよゆうが失せていく。身軽にならねばなるまいに。ただ必要でないものを買っていることには自覚的なので、いざとなればぜんぶ捨てられるわけで、そういう意味では身軽なままなのかもしれないのだけども。いやいや金が失せるというその一点がすでに身軽さを剥奪しているのか、そうか、どうしようか。 あとひとまず単純にへやが片付かないのでよゆうがなくなるのかもー。 きらいな季節じゃなかったはずなのに、今年はしんどい、夏。 9日(月) うーん、あまり、あたまが、働いていない。仕事しかできないレベルにまで回転が鈍っているかんじ。ならばあすも仕事であるのだしもう寝るか。そういえばさいきん就寝が遅い時間にずれこみがち。 10日(火) 仕事がいそがしい、というフレーズの意味がよく分からない。分からないままたまにつかっているかもしれないけど、仕事がいそがしいって、なんだ。仕事でいそがしい、なら分かる気がするし、仕事でせわしない、のほうがより分かる。そんなわけで、案件処理に時間がかかったり、業務内容とはべつのところで急な通達があったりで、わたわたっとしていた日。帰りの電車を待っているときに、おや、これがいわゆる「仕事がいそがしかった」ということなのかなと思ったのだけど、やっぱりちがうな、しっくりこない。いそがしかったのは自分で、それもいそがしいのではなく、せわしなかったというほうが正しい。いそがしいってひらがなで書くと見目うるわしくないな、しかし漢字つかうとどっちも「忙しい」なんだもの。 そんなわけで、ひさしぶりに仕事帰りにおうちでカフェごはんを出すお店でばんごはん。 19日(木) ただしい夏休みをおくっております。 14日からおやすみなのですが、ただしい夏休み、それは暑すぎて仕事もできないから休む夏休み。いやーあ、もう、暑いですから、ね。くたくたに寝ている。食生活もえらいことになってて、おもにしょうがの酢漬けときゅうりの浅漬けとスナック菓子とで生きている。ドンタコス。まあいちおう、特養の祖母のところへ行ったし、墓参りも行ったし、きょうは父の通院だったしで、……なんだ、墓参りはともかくとしてルーティンワークですね。おやすみだからすることじゃないね。はあ。 たのしいこともぽつぽつ起きたりしているのですが、暑さでぐりぐりと塗りつぶされ夜は放熱するPCなんぞ触りたくもない日々でした。きょうはちょっぴり涼しくなったのでほっとひといき。だらだらしようと思えばいくらでもだらだらと正体をなくしてしまえるのであるなあと、多少の危機意識もありつつ、多少はどうにか、こうにか、ヒトとして体裁のととのった生活をオーガナイズしていきたいのであり、ある。 20日(金) きのうの午後から兄が帰ってきていたので、食卓が饗応モードです。いや食卓だけでなく、TV観るときにお菓子をつまむかもしれないからねと買いこんできたジャンクどもを、当の兄をさしおいてせっせと食べつづけているせいで、正直体調がわるい。けふー。 兄がいるとたとえ父がうわごとでまざろうとしてきても3対1なので、会話(対話)という家族団欒のかたちがどうにかできあがるため、居間の活用度があがります。うわごとをぽつぽつと落としてくる父もとりあえずたのしそうなのでいいんじゃないでしょうか。会話はのぞむべくもないけれど、場の空気を共有はできているもようです。よかったね。あと兄がくると帰りは途中の乗りかえ駅まで車で送るので、車にとっても長距離散歩ができてよいです。そんなわけで夕食後送ってゆきました。 しかしやっぱり平時の人員のみでは、この家はけっこう閉塞しているのであるなあと思うことよ。 22日(日) きのうきょうと、休みも最終にさしかかっているのだのに、だらだら寝ているのであります。「だのに」ってもうちょっとしっくりくる文脈でつかえた気がするのだのに。 ゆうべははやめに眠たくなったのはいいのですが、いざきちんと寝る体裁をととのえてみたら眠れなくなるよくある事例、そんであたまが痛かったんですけど、べつにそれが原因というほどすごく痛いわけではなく、むしろあんまり痛くなく、ただずっと、ごくうっすらと頭痛、ってなもんで、電気つけて起きてみて、いややっぱり寝る、と消してみて横になって、とくりかえしておりました。で、なんどめかに起きてみたとき、前回だか前々回だかに起きてみたときまとめておいた処分するよていの雑誌やらなにやらを、そうだ階下にもっていこうとひょいと持ちあげたらば、体長5pくらいのやもりがちょろりとおでまして、おや、と思った。裸眼だったせいもあるんですが、やたらひらぺったい子だったもんで、ううむ?としばらく見つめていたらば、ちょろちょろっと去ってゆかれました。いやべつに、オチはない。 玄関先でたまに見ることもあるんですが、見るたびになんか胴長短足ね、という思いがぬけません。あと頭部がおっきい。やもりってあんなにスタイルわるかったっけ?と思う。とかげのフォルムとくらべてしまっているのかもしれない。そしてべつにスタイルのわるさを云々したいわけではなく、むしろかたちとしてはとかげよりもばつぐんに愛らしいと思います。 きょうは祖母のいる特養で納涼会が催され、母と叔父が参加しました。叔父はいったんこちらの家による予定なので、そこは自分が車をだすつもりでいたんですが、駅につくまえにメールをよこしていわく「そちらの家まではすずしいところをさがして歩いていきます」。「すずしいところなどない」といってやりたい。母に「そう返したれ」といいましたがじっさいそう返信したのかどうかはしらぬ、ともかく駅まで車でむかえにいきましたが、歩くようすをみるともうぜったい「すずしいところをさがして歩いて」いたら、とちゅうでばったりたおれやさんだよ。どこがしんどいのかな、と想像するに、からだぜんたいがしんどいのだと思うけれども、ペースメーカーの手術以降歩きかたがひょっこりひょっこりになっていますの。 そんなわけで夕方5時から、底煮えの熱気がのこるなかの納涼会だったようです。自分はもうちょい便利につかわれる予定だったのだけれど、寝たり起きたりしていたので、家からホームまでの往復はタクシーで。帰るときにまた駅まで送ってゆきました。たとえば叔父が仕事を辞めれば、こちらにへやをかりて住む、というのもひとつの手なわけですけれども、まあ、さきのことはわからん。どうせ母があるていどめんどうをみる必要があるのなら、全員こっちの生活圏内にいてくれたほうが楽は楽ですけどね。 23日(月) 朝からの暑さ、電車のなかは景気よく冷房をきかせてくれてありがたい一面、送風の温度それじたいはたいして低くはなくて、吹きつけるその速度を冷感とすべしということなのかなんなのか、まあとにかく、風が強すぎるので、あたっているとだんだん気分がわるくなってきてしまった本日でございます。寝不足ぎみだったし。できるだけ風があたらない場所と姿勢を模索してみたのですが、車内が空いていたこともあり、どこにいてもいずれかのタイミングでとくに冷たいわけではない風が吹きつけます。これをよけるにはもうしゃがむしかないのではと思っていたら席があいたので、あと一駅だけどと座ってみたらばじゃっかんマシになりました。設計としてはただしいのでしょうけれども、風の死角となる場所はないものか。 そんなわけで、生きていくリズムをとりもどしたい休日明けの出勤、自分が電車で吹きっさらしにあっているあいだ、家ではばあちゃんが、かなり、なにか、それはもう、ということをやらかしていたのですが、まあぶじにディサービスへいってくれたし。ここんとこ特養の祖母のほうへ母が出向くことがつづいたので、状況をただしく理解しているわけではないでしょうけど、なにがしか不安、なの、かな。いわゆる「試し行動」なのか。そのわりに惨状を母がかたづけおわってしまえばけろりと「たいへんなことをしてしまったと思ったけど、夢だった」とかいわしゃるので、なにかもっとこう、動物的なことかもしれんよ。ぷう。 24日(火) つかう電車を含む複数路線が上下線とも運転見合わせ、と朝ニュースで知ったのが、あと1時間後に動いていれば問題なく出勤できますが……という時刻。動かない場合は、家からは駅と反対方向に2倍くらいの距離をいくとローカル線の駅があり、そこからターミナル駅に出て乗りかえて、ということになります。 ひとまずいつもよりちょっと早めに駅にむかうと、ホームに電車が停車していたので、運転再開して1本めに乗れればだいじょぶかな、と待ちまして、ぶじ遅刻なしで到着いたしました。ロッカー室でやはり運転見合わせていた路線から来る先輩ともいっしょになり、「間にあいましたねー」といったら「自転車で来ちゃった」と。「さっき喫煙所でおなじ線の人に『動いてたよー』っていわれた……」。40分かかるそうです。帰りも40分です。おつかれさまなのです。ちなみに自分の自転車筋は非常な衰えをみせていますから、40分自転車を漕ぐのはむりと思われます。 25日(水) ゆうべ母がばあちゃんをなだめる声でちょっと目がさめた、と思っていたのですが、ばあちゃんがかなり長く大きく声をあげていたそうで、どうも自分もそっちで起きて、その後の母とのやりとりをゆめうつつで聞いていた、ということのようです。なにか、ばあちゃんの弟さんが馬に乗ってやってきた、とか、なんとかいってた。で、けさは出勤の母にかわり自分がディサービスの送り出しをします。着替えなどしながら、ほんのり夜の昂奮がのこったままのばあちゃんが語ることをさっくり整理しますと、@弟がA馬に乗ってものすごい勢いでやってきてB神社のどこかにあがろうとするのだけれどCあがれなかった。 うーん、おもしろすぎるぜ。 補足しますと、その弟さんは三年前に死んでます。んで、ちょっと遅れてますけど夏のこの時季、馬にのってやってきて、あがろうとするけど、あがれなかった。神社ってところだけ平仄があわないですが、まあ、わかりやすいです。今年うち迎え火も送り火も焚いてないしな、つうかばあちゃんは嫁に来てこの家にはいったのだから、ここの苗字は弟さんとちがうしな、まあ、正式にご招待していないですから、あがれないですよ、たぶん。みたいな。「なんで馬なんか乗っとったんかなあ……まあ、ほかに乗るもんがあらへんのやろうなあ」としみじみいうのがいとおかし。あともうひとりの弟さんをさして「あの子は夢にでてきぃひんな」というので、「そりゃまだ生きてるからじゃないでしょうか」といったら納得してくれた。 多少、いつもより精神がふわふわになっとるようで、ちょっとした物音に反応して声をあげてる状態ですが、今夜は心平らかにお過ごしいただきたいです。 声をあげる、といえば自分もきょうは、ばあちゃんを送りだしたあとに最近しょっちゅうずれてくるめがねの鼻あての部分をぎゅっと押さえてみたらぽろんとぬけおちてしまって、とっさに「うわああああうお」的な奇声を発しつつもとの位置におしこんでみたらきちんとはまった。でもまあ壊れたわけなので、陽がおちてから近所のめがね屋さんに持っていきました。あしたは運転用につくってみたけど運転するときも使用せず、免許の更新時はこっちをかけていこうと思いつつうっかり忘れ、という存在感のない予備めがねでしのぎます。 めがね屋のおにいさんが、樹脂と金属はなんとか係数がちがうので収縮に差ができて経年によりゆるんでしまうとか、いろいろしゃべってくれておもしろかった。接着剤はつかえないので(なぜならば接着剤とは溶剤であり云々とこれも説明してくれた)樹脂を充填した部分にあたらしい部品を埋めこみ、一日おいて強度を充分にする、とのこと。あした受け取りにゆきます。 26日(木) 予備めがねで出勤したら、先輩に「あれ、きょうアイメイクばっちりだ」といわれました。 「や、いつもとおなじです。めがねがちがいます」と返してみたけど「それはわからん」と。お昼すぎには、めがね仲間の同僚にも「そういえばきょうアイメイクばっちりだよね?」と問われましたが、そこはめがね仲間、「いや……」とこちらがかえすあいだに「あ、めがねがちがうんだ!」と正解。さらには「いつものより度が強い?」とそんなところまで気づかれました、これはすごいのでは。たぶん、セルフレームでないぶん、度が強いぶん、レンズごしの目の全体像が常よりすっきり見えていたんでないかと思います。ふだん使いのほうも、仕事帰りにぶじ受けとりました。つるのあたりとかかなり色が剥げたみたくなっていたんですが、きれいになってかえってきた。これなら買いかえしなくてよさそう。 買いかえといえば、2年くらいまえから夏になるとぶーんぶんうなるので、壊れるのでは、壊れるまえに、と思っている冷蔵庫。今年はとくに暑いせいか、冷凍室にいれてるアイスキャンディバーが端正な円柱を保っておりません。身持ちをくずしかけたそのアイス(グレープ味)を食べていたら、服にぱたっとこぼしてしまった。で、ごくうすい灰色の綿の生地に、やや赤みのある濃いむらさきのシミができたわけですが、水にぬらしてから、洗濯用ではなく手洗い用の固形せっけんをぬりつけたら、すーっと群青っぽい青に変化して「お」と思った。酸化とか、還元とか、いやぜんぜんちがうかもしれんけど、それっぽいなにかの反応が起きたようですが、それがなにかはわからない。そしてその青いシミはせっけんにより薄れるどころか定着したような風情でいるので、漂白剤をペースト状にしてこすりつけてちょっと時間をおいてみているけど、とれるかどうかわからない。はて。 29日(日) おせんたくしたらアイスのシミはとれました。秋にむけてのおかいものをぼちぼち開始していて、欲しいジーンズはサイズがないと思われたのですが、結果的に想定のツーサイズ下をねじふせることができたので買いました。よろこばしいと思っていたら、ちょっと足元をすくわれたかんじの金曜日。 まあつまり、要介護のばあちゃんと父がおるわけですが、父への介助はばあちゃんへ対して施行しているそれと比してもあからさまに手ぬきだったわけですよ。ええ。はっきりきっぱり手をぬいておりました。手をぬけるかぎりはぬく、という強い意識をもって手ぬきでございました。で、なにかあった場合についてこられるのはやっぱりそういう弱みのところで、それでも最低限の安全ラインは守れると思ってたんですけれどもセキュリティのひきあげがそろそろ必要になってきていたようで、まあ、なんだ、手ぬきの度合いをゆるめなくてはならないなという認識にいたりました金曜日。ということは行動に制限が加わるわけだ、とむぉんむぉんしていた土曜日を経て、まあやってみるかと切りかえた日曜日。 いずれこれでは効かないラインを突破されることもあるのかもしれませんが、基本の考えとして、問題というのはつねに周囲の環境ではなく、自分のなかにあるわけです。なので周囲の条件がいまの自分に制約を科すものとなった場合は、問題が周囲の条件ではなく自分の意識である、と内部にいったん取りこんでから、意識のほうを変化させればいちおうの解決になるわけです。そういうギアチェンジというかなにかに、とりあえず今回は2日近くかかったわけですが、まあこんなもんか。 ひとまず秋のおかいものをつづけるよ。 |
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