2013年9月


1日(日)
やあやあ、9月です。8月はけっこう人に会った月でした。好きなひとたちに会えるというのはいいものだ。そんなわけで9月もひさしぶりに会えるひとがいます。がんばって生きよう。

作品の他メディアへの展開、をかんがえたとき、原作をはじめに知っているといろいろいいたくなるものです。しかし通常他メディア展開するってことは、消費者としてかんがえられているのは原作を知らない層です。原作ファンだけに消費されるんじゃ商売として意味がないし。たぶん10年くらいまえは、小説(漫画)→映画化という流れで、映画化したほうが作品の認知度があがる、という自明の理屈がほんきで理解できていなかった。映画化ってのが、原作好きのひとへのご褒美みたいな気がしてたんですね。いろいろとまちがってた。

ここ数年で、映画化された作品は、もし原作未読ならばぜひ映画→原作の順でたのしんだほうがよいというまでに成長しました。短篇小説はまた別かもしれませんが、通常映画化は原作のエッセンスを抽出して作るはずです。なので原作のほうがおもしろい……かは作品によるかもしれないけど、原作のほうが情報量が多いのはまちがいない、と思う。だから原作→映画でみるとき、原作と較べるという視点を捨てるのはけっこうむずかしいため、「原作とここが違う」「原作のほうがよかった」とか、残念な感想を抱きがちになる。反対に、映画をみて「ふむ、おもしろい」と思ってから原作を読むと、「やだーもっとおもしろいー!」ってことになる可能性が高く、ようするにそのほうがお得です。いっぽうで視覚的情報は具体的で強烈なので、原作を読むとき映画のヴィジュアルに引きずられすぎるってこともあるかもしれませんけど。

で、映画のリメイクとか、アニメの映画化とかは、またどうなんだろうなーとか思いますが、基本的にはオリジナルのほうが優れているのが当然なので、オリジナルをあとから観たほうがおもしろいと思うんですね。オリジナルだけみりゃいいって考えかたもあるでしょうけど。あとオリジナルをすでに知ってしまってる人は、オリジナル→リメイクの順しか選択肢がないわけですから、リメイク→オリジナルの選択肢を活用できるチャンスがあるならしとこうかって感じです。

たぶん「許されざる者」のことを考えていたはずなんですけど、ふと思いだすのが高校のとき、京極夏彦『塗仏の宴』を「作者が支度と始末、どっちから読んでもいいっていってるから、始末から読む?」と提案されたのに「いやいやいやそれはないでしょ」と刊行順に読むことにこだわった自分です。それこそ「せっかくだから」ということばで進められたのですけど、ほんとに「せっかく」のチャンスであったのだろうなあと思う。思うけどやっぱりあれは「支度」から読んだほうがたのしめるんじゃないかと、思うのも結局その読み方しかできなかったからなのかもしれないけど。

そんなわけで、本についてもできるだけ読む順番にこだわらないでいたいと思うようになったのですが、辻村深月のある作品は、かんぜんに作者の別作品をさきに読んでいることを前提としたものがあって、あのときばかりは「読む順番もだいじ」と思いました。つづけて読んでいる読者への「目配せ」くらいのネタはもともと多い作家さんで、それはいいんです、むしろ好きです。でも「オチの種明かし」が別作品を読んでいないとものすごい不意打ちで、「え、なに、そういう話なの?」ってなるのが、如何ともしがたい。

読み終わった本:『チャーメインと魔法の家』ダイアナ・ウィン・ジョーンズ(市田泉訳)、徳間書店、2013年


2日(月)
出勤がてらだと忘れるので、朝ハガキをポストに投函しに行ったのですが、そのときは曇ってて「涼しい」は言いすぎだけどちょっと過ごしやすい空気な気がして、ひさしぶりに駅まで歩こうかと思いました。が、じんわり暑いし家帰って身支度してたら汗かいてくるしなので、やっぱり自転車で。

100万が助かるために100人を犠牲にするっていう種の決断は、一般人にはできないでしょうし、できなくていいとは思うんですけど、常にその種の決断を迫られている立場の人ってのは、なんだろう「公人」っていう人外というかシステムのようなものなのかなあ。自分は「目のまえの赤ちゃんが死ねば、世界中の100万人が助かる」って選択があって、自分が「だめ」って言えば赤ちゃんが助かるなら、そりゃもう「だめ」って言います。これは正義感とかそういうものでは断じてなく、「目のまえで赤ちゃんが死ぬ」っていう恐怖や不快に自分が耐えられないだけ。だって世界中の100万の死は身に迫ってこないけど、目のまえの赤ちゃんの死ってのはリアルすぎるから。あとは、「赤ちゃんを見殺しにできなかった」という大義名分もある、っていう保身。銀行強盗立てこもりなどで人質になってしまい、「この中のひとりが死んだら全員を釈放しよう」っていわれたら立候補したいのも、その場の空気に耐えられそうにないし、今後「となりの人が殺されたら自分は助かる」みたいな状況に追いこまれていったら自分はとなりの人が殺されるように立ち回っちゃうだろうな、っていう予感にも耐えられないっていう理由ですけど、でも痛いのも恐いのもすごいいやだ。だから「はい」って自分が立ちあがったら、「い」の音を発するか否かのあたりですばやく確実にしとめてほしい、わけです。でも犯人にそんな信頼と期待をかけられんよな。

……んなことをたまにつらつら考えるわけですが、たぶん自分は非常時になったら、なにひとつ自分が思うような行動はとれなくて、どころかすごいみっともないことになって、しかもそれを「みっともない」と思う感受性すらなかったことにしてしまうんだろう、というのがたいへん憂鬱なので、そんな事態に遭遇しないようくれぐれも気をつけます。

読んだ雑誌:週刊少年ジャンプ2013年40号
見た映画:「ホワイトハウス・ダウン」ローランド・エメリッヒ監督、アメリカ、2013年


3日(火)
友人が奇ッ怪な恋愛をしている、という夢をみたのですが、起きたときの「なんでー?」って気持ちだけ残して奇ッ怪の中身は忘れてしまった。

職場の最寄駅にあるとあるお店では、店員さんがフルネームの名札をつけています。フルネームである必然性はないと思うのだけど、なぜかフルネームです。んで、おひとり、おもしろい名まえの方がいる。レジカウンタ越しにはじめて目にしたときは、ちょうど視力があんまり出てない日だったのでいまいち確信がもてなかったのだけど、いまではきっちり三文字すべてを判別できています。名付けたひとは宮沢賢治が好きなんだろうなって名まえですが、でももし読みがそれじゃなかったらもうわからん。

高校のとき授業で新聞記事をネタに短いスピーチ?をやるってのがあって、「我が子に『国際的な名まえ』をつける親がふえている」つう記事を使いました。記事のなかで例にあげられていたのが「海人(かいと)」で、自分もこの名まえ自体はべつに問題ないと思うんですが理由付けに「外国人でも発音しやすい名」とか挙げられててガイコクジンってつまり英語をしゃべる白人なんだろうけどkiteっておまえ我が子に「凧」ってつけるわけ、国際人とかいいたいなら和風にしろよ、的な、まあスタンダードな意見を述べました。たまたまその時期に「将来子どもにすごい難しい漢字の名まえをつけそうだね」と言われたことがあって、「そんなにあたま悪そうに見えるかちくしょう」と反発したことも影響していたような、いないような。授業の終わりに無記名で評価とひとこと感想書いてもらったものをもらうんですが、1名、評価は高くて感想で「人が親からもらった名を否定するのはよくない」というのがあって、心優しいひとだなあと思ったんですが、いま書いてて気づいたけど、「読みが英語圏の名まえっぽい」子、ひとりいたな……。

そんで最近もDQN名のまとめサイトとかみてほくそえむような意地の悪いことをしていたのですが、いまなんのオチも考えずに書いていてですね、けっきょく店員さんの名まえも「ああ賢治か」って思ったから自分は「あり」と判断したってだけで、この線引きはほんとに個人のジャッジでしかないのだから、賢治ならありだけどただの当て字ならなしだとか、そういう価値判断でいるよりは、まあいいじゃないのと思うところからはじめるべきだなあ、とかいう気持ちに着地した。子どもが「こんな名まえいやだ」と表現するようになったらかんがえればいいでないの。「こんな名まえつけられてかわいそうに」と思うよりは「気にいらないなら自分で呼び名をかんがえればいいんだよ」というくらいに自由な空気があれば平和でないの。

幼稚園くらいのときに、自分の名まえがいっぱいあればいいのに、とか思ってましたねそういえば。

見た映画:「サウンド・オブ・ノイズ」オラ・シモンソン、ヨハネス・シェルネ・ニルソン監督、スウェーデン・フランス、2010年
見たアニメ:進撃の巨人 第21話「鉄槌」


5日(木)
お休みのきのうは父を送り出して寝て、雨の音で起きて、また寝て、雨の音で起きて、父を迎えて、母が帰ってきて、また寝て、雨の音で起きたら夜11時すぎで、また寝て、本日朝起きたら雨の音、つーか雷の音がしてましたね。

自分の判断ミスでコトが大きくなった件があるので、引継ぎするより自分が出勤したほうが早いってんで、あすお休み予定でしたが出勤しますです。そしてやっちまったもんはしょーがない、という気持ちの切り替えがあまりできずにぐだぐだしてますが、まあ、はやく寝たほうがいいのはまちがいない。

読んだ漫画:『脳内ポイズンベリー』第3巻、水城せとな、集英社クイーンズコミックス、2013年
        『ワールドトリガー』第2巻、葦原大介、集英社ジャンプコミックス、2013年


6日(金)
持ちこしの案件はだーいぶうだうだ考えこんでいましたが、いちばん楽観的な予想で着地することができたので、やれよかった。しかしそのためだけに出勤したつもりが、現場が意外とわちゃわちゃしていて、そっちのが気になりつつ帰宅しました。まあ課題が見えていて、やることがあるというのは、仕事として健全なのだと思います。

見た映画(TV放送):「紅の豚」宮崎駿監督、日本、1992年


7日(土)
免許更新に行った際、免許センターの最寄駅近くにシネコンがあることをはじめて知ったのですが、そこが8/31からクリストファー・ノーラン監督のバットマン3部作を各1000円で再上映してくれています。なので、本日は父をショートステイに送りだしたあと、母と出かけました。

家に隣接した公園にいつのまにかダチュラが植わっているんですが、それが地を這ってどんどん領土をひろげていっていまして、なんかこわい。公園の入り口のスロープを横断しそうないきおいなんだけど。

ここんとこ天気がびみょうですが、風が湿気てるとはいえすずしく感じられて、ひょっとしたら秋の気配か、とも思います。そういえば去年のいまごろは手持ちのお洋服をミニマムにするとかかんがえていたみたいですが、うん、結局、どこふく風だ。通信販売のカタログをながめながら思うのですけど、自分はつまりお金をつかうのが好きなんだろうと。だから、自分が使える範囲のお金というものはきちんと線引きしておかねばならぬのですね。

そうそう、服飾ではないですが、倉敷意匠の紙モノカタログ、第4弾が出ていたのでさっそく買ってながめていますよ。たぶんお金使うね。このいとおしきゴミたちに。 新聞とはそのほとんどが古新聞であるように、製品というものは作られたその瞬間から、ゴミになるまでの猶予が異なるだけのゴミたちなのです。

見た映画:「ダークナイト」クリストファー・ノーラン監督、アメリカ・イギリス、2008年


8日(日)
2020年の夏季オリンピック開催都市が、まさかまさかの東京で決定。のんびり起床して母に結果きいた瞬間「はあ?」つっちゃいましたけどー。もともと積極的に反対!と声をあげるほどの理由ももっておらず、単純に「そんなめんどうくさいことしないでいいのに」って気持ちでいましたので、なんというか、うん。

意見を持つほど今回の招致活動に興味もなく、知識もないわけなんですが、つらつらっと考えたことども。

大勢の人間を一度に一箇所に集めて騒ぐというのはスマートじゃない、という価値観、すでにどこかに存在しているはずですが、ていうか今回の東京招致でも「コンパクト」とか出てなかったっけ、まあそれでもTVでオリンピックの開会式なんかみていて、いろんな国のひとたちがどわーっといるのをみるとわくわくするし、要するにすごく原始的な部分が興奮するかんじがして、だから人間はまだずいぶんと動物っぽい、というか、スポーツがそもそも動物っぽいのか。だいぶ、なんていうのか、システマチックになってきている気もするんですが、根本のところは変化なしってことなのか。ざっくりと「スポーツの祭典!」って面は、成熟した社会にあってはざっくりすぎるので、いずれ世界選手権があるスポーツはオリンピックでは採用しない、とかいう方向にシフトしていったりはしないか。競技人口がすくなくて、大きな大会とか、まして世界大会なんかひらけないようなスポーツが、オリンピックでそういう場を設けてもらうって方向性はどうだろう。

まあとにかく、マラソンと競歩のコースは、でっかい森林とかつくってそこ一帯の気温を周囲より下げるとかそういうテラフォーミング的な環境対策が必要なのではと思われるのです。


9日(月)
きのう自治会のクリーン作戦、つまり公園の草刈りがあったのですが、今朝になってダチュラの領土が縮小してたことに気づきました。

それはともかくとして、きょうの夢が2本立てで、片方はバレーボールの試合でけっこう一方的に攻撃されてしまうチームの一員としてサーブをミスる話、そのつぎが洋画仕立てのスプラッタでした。洋画のほうがね、うーん。ゴア描写が。アメリカの草原かどっかなんですけど、馬小屋隣接の家に住んでて、あるとき馬小屋にならず者がふたり入りこんでいて、で、皮をなめすのを手伝えって言われるんです。殺されたくないからいうこときいて、このなかのもの、って渡された入れものをのぞいたら、人間の顔面からはがされた生皮なんですね。で、いっかいゲロった。でもそのあと、自分がこういう目に遭いたくないからってけっきょくその皮なめす作業をたんたんとこなしてた。というのを、映画視点でみているので真実グロい画像を見たわけじゃないんですが、もう状況がエグいですね。そのわりに寝覚めはちっともわるい気分じゃありませんでした。痛いのきらいなんで、悪魔のいけにえとかテキサスチェーンソーとか見たこともないんですが。

いままでみたなかで「恐い」って泣いた夢は、幼稚園の年少組にあがったころにみたものと、それよりちょっとあとの小学校の1年くらいにみたものです。幼稚園のやつはいま思うと恐くもなんともないっつうか、アニメ絵でみたので状況がこわくても絵面がまったくこわくないっていうかコミカルで、当時もそれを自覚しつつ「しかし恐かったのだ」と思ってました。もうひとつのほうがいまでも恐いかなーと思いますが、これは絵面とかまったくなくて、ただへやの四隅から「声」がぺちゃくちゃぺちゃくちゃぐわーーーーっとせまってきて、自分の居る場所がなくなるってもの。ふとんはぐって飛び起きたあと、一拍おいてから「わー!」と叫びましたね。恐かった。幸いにも1回こっきりです。

ひとから聞いた話では、何度も繰りかえしみてる夢ってのが、意味ありげで恐ろしかった。うろおぼえですが、公園のような場所で、かんたんに橋がかかった池のようなものがあって、そのまわりを三輪車に乗った男の子がぐるぐるぐるぐるまわってる、っていう。これは自分が勝手につけくわえたイメージかもしれないけど、白っぽい、昼っぽい光のなかで。いちおう「ストレス感じてるときとかによく見た」と本人の注釈があるのですが、これいまでも想像しただけでぞわっとくる。

特にオチなく終わり。

読んだ雑誌:週刊少年ジャンプ2013年41号


10日(火)
いままであまりなかったように記憶しているのだけれど、駅〜自宅へ帰ってるあいだに犬の散歩組に行き当たりました。2組。いつもはもっと早い時間に帰っているし、いちばん遅くなるとき、要は終電帰りのときよりは30分くらい早いって時間帯なんですけど、そのせいですかね。そして2番めに出くわした組のほう、考えごとしながら自転車こいでたら、5メートルくらい手前まで本気で存在に気づかなかった。

最初にみかけたのがコーギーで、つぎが犬種わからないけど、毛がくるくるしてそうな小型犬だった。のですが、犬はともかく犬を連れていたおねえさんの頭にでっかい耳が生えていました。「あなたがたのことはもっとずっと前から見えていましたよ」って風情でよけるのに手一杯だったので、よく目視確認できていないんですけど、リボン型のカチューシャでもしていたのかな? 車輌運転中は集中しようというお話。

見た映画:「メキシカン・スーツケース」トリーシャ・ジフ監督、スペイン・メキシコ、2011年
見たアニメ:進撃の巨人 第22話「敗者たち」


11日(水)
お昼食べたお店で72円のお釣りをさいふにいれようとしたところ、なんか指ではじいたみたいになってちゃりちゃりーんと床に落としちゃって、あれあれと身をかがめて拾ってまたまっすぐ立ったときに左腕にかけてたストールがすぽーんと落ちて、店員さんに拾っていただいてすみませんと言ってる最中に右肩にかけてたポーチがくるって逆さまになって定期とスマホと免許証が落ちた。

「あのとき、それで店を出るのが遅れて、結果的にあの事故に遭わずに済んだんです……」ってオチが欲しいくらいでしたが、べつになにごともなく。

けっこう道行くみなさんが秋っぽいかっこうしていましたねー。じわじわ暑いですが、色味とか素材とかは季節を意識したいつうかいや、ただ、快適で楽なかっこうがしたい、だけだ。

見た映画:「ジンジャーの朝」サリー・ポッター監督、イギリス・デンマーク・カナダ・クロアチア、2012年
読んだ本:『キャパの十字架』沢木耕太郎、文藝春秋、2013年


13日(金)
きのうは気づいたら寝てしまっていました。もともと職場の駅についた瞬間から、えらい眠たくなってなんだどうしたって日でしたが……食欲と睡眠から自由になれぬ身よ。なんなんでしょう、寝ても寝ても眠い気がするとかさあ。寝たいときに寝て起きたらすっきりしていて活動してる最中は眠くならないとか、最低限の機能のはずなのに、自分は長年ポンコツですよ。そしてこのポンコツをかかえている人は多いはずだ。

読み終わった本:『菩提樹荘の殺人』有栖川有栖、文藝春秋、2013年


14日(土)
同僚をカラオケに誘ったら、「舌噛んじゃって痛い」という世にもかわいい理由でフラれましたが、じっさい本人たいへんらしい。その他のメンツでたのしく歌って帰りました。

読んだ雑誌:週刊少年ジャンプ2013年42号


15日(日)
ひさしぶりに会える友人と都内で会う約束があったのですが、なにぶん雨がひどいので、延期になりました。んで、兄が通勤に車を使わなかったので、母とふたりで映画でもみるかーと車を走らせました。いちばん雨のひどい時間帯を。うん、なんだ、結局シネコンがはいってるモールにまではたどりついたんですが、駐車場で排水溝からごぼごぼ水が吹き上げてるのに恐れをなして、そのまま帰ってきたのです。いやー、恐かったわー。もう2度と台風近づいてるときに運転なんかしねえ。

土曜から月曜まで、父がショートステイ中なので、朝から晩まで時間を気にしないですむ日だったんですけどね。まあのんびりしました。


18日(水)
水曜と金曜にお休みをいただいているので、月曜祝日のときは飛び石出勤になります。あまりリズムがよくない気もしますけど、あすが休みだと思って出勤するのはわるくない。そしてきょうはお休みのほう。

友人の展示を見にいくついでに映画も1本。席がとなりになった方が懐っこいかんじで、「この映画、どんな内容なのかしら?」と声をかけられまして、別の用事があったけど気が乗らなくて、水曜日だから1000円だし映画でもみようか、と立寄ったそう。「壇蜜さんの映画がみたかったんだけど、来週なのね」と仰っていました。壇蜜映画がみたくって、なかったから、これか……。ううん……。と思いましたら、やはり中盤は眠ってしまわれたご様子。ちなみに自分も映画でなければ耐えられんと思いました。

見た映画:「トゥ・ザ・ワンダー」テレンス・マリック監督、イギリス・アイルランド、2013年
見たアニメ:進撃の巨人 第23話「微笑み」


21日(金)
見た映画:「ウルヴァリン:SAMURAI」ジェームズ・マンゴールド監督、アメリカ、2013年


22日(土)
読んだ雑誌:週刊少年ジャンプ2013年43号


24日(火)
読み終わった本:『本泥棒』マークース・ズーサック(入江真佐子訳)、早川書房、2007年


25日(水)
見たアニメ:進撃の巨人 第24話「慈悲」


27日(金)
見た映画:「ビザンチウム」ニール・ジョーダン監督、イギリス・アイルランド、2012年
読んだ漫画:『3月のライオン』第9巻、羽海野チカ、白泉社ジェッツコミックス、2013年


28日(土)
見た映画:「クロニクル」ジョシュ・トランク監督、アメリカ、2012年


30日(月)
ねむーい。ああ、9月が終わる。そして母は晴れて映画のシニア割引が使えるようになる。
9月は見たいと思った映画にけっこう行けて、そしてお金がなくなりました。
ねむい。

読んだ雑誌:週刊少年ジャンプ第44号



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