2012年1月


2日(月)
またまた感慨なく年があけてしまった2012年。ただ29日30日はけっこういろいろ動いたので、31日と1日は力つきて寝ていたふうです。1月前半に、ちょっと一区切りつきますので、そこからまた気合いを入れなおしていくかんじ。本年もできることからこつこつと。皆様のご多幸をお祈りいたします。

手帳は2年間 Rollbahn のでっかいのを使用していたのですが、今年はMARK'Sの手帳からてきとうに選びました。オンラインショップの説明をみたら、中面のタイプはホリゾンタルとかいうらしい。なんぞホリゾンタル。ひとまず、1年の目標とか月ごとのやることリストとかがついていたので、計画たててみましたよ。もともと計画をつくっただけで満足するタイプ、よりさらにひどくて計画表の書式がうまく決まらないだけでかんしゃくを起こすタイプのこどもでしたからに、フォーマットが用意されているところに書くのはけっこういいですね。ただあいかわらず、きれいにととのった紙に落とす自筆の一文字めっていうか一筆めが気に食わないともう1年間がだめになった気がするって傾向があるのは否めないので、フリクション大活躍。でもあんまり消すと紙がふやふやになるよ。

さてそんな自分の個人的なTO DOリストとは別に、近々でMUST DOなリストもあるわけですが、ひとまずあしたはじっくり箱根駅伝復路を観戦したいと思います。小涌園前にはやっぱりかぶりものが2体いるわけですが、あれなんだろう、あったかいのかな。


4日(水)
母と兄は仕事はじめ、父はディサービス、そんななかショートステイ中のばあちゃんが発熱し、母が午前休とってくれたのでふたりで病院へ連れて行きました。あんまり待たずに済んだし、もらったおくすり服用させたら一汗かいて熱もさがったし、ひとあんしん。

父は一転してディサービスを褒めるようになり、「どうして毎日行けないのか」くらいの勢いです。うむ、いま通所しているところは少人数でこじんまりやっていて、あなたには手もかかるし、どうしても曜日が水曜しか都合つかないのだよ。「人数がいっぱいで水曜しかだめだよ」といってみると、なんとなく理解はしてくれるようですが、「おれが話したら行かせてくれるんじゃないかな」とつぶやいています。この傾向はわりと以前からあって、「おれなら特別扱いしてもらえる」という意味ではなく、自分以外の家族はそういう社会的能力というか、要求を通す方法(話法?)を知らないだけなんじゃないか、と思ってるみたい。

じっさい父の通所は増やしたいので、土日もやっている大きめのところを考えてはいます。この意欲がいまの施設だからこそって部分もあるので、別の場所もおなじように気にいってもらえるかは分からないですけど。おなじところの本館・別館くらいにかんがえてくれればいいんじゃない。

さて自分はあすが仕事はじめです。


6日(金)
うつむいて点眼できるひとっていますかね?

電車のなか、立っている自分のななめまえの座席にいた女性なんですけど。前髪の内側で、そんなことが行われていたような気がしてならなかった朝の通勤です。うつむくというほどではないですが、あごをちょっと引いて、顔は正面よりは下向き。目薬とおぼしき容器をさかさまに持ち、下まぶたと眼球のあいだにななめ上から注ぎいれるってイメージ。しかも左右の目に点眼?をしたあと、目頭をぬぐうしぐさもみせず。つまりなにもこぼれ落ちず。あふれ出もせず。なにごともなくつるりとした眼球で。

「それきっと目薬じゃなかったんだよ」と言われましたが、じゃあなんだったんだ。まつげ美容液とか?


8日(日)
去年日本公開され、観に行く機会を逃しつづけたまま年を越してしまった映画リスト。

・サルトルとボーヴォワール 哲学と愛 (2011/11/28公開)
副題必要かな? アナ・ムグラリスはかっこいい。
・50/50 (2011/12/1公開)
わりと近場のシネコンにもやってきていた。でも6日で終了した。ゴードン=レヴィットがみたい。
・リアル・スティール (2011/12/9公開)
これはたぶんどこでもやってる。ダコタ・ゴヨという語感。
・灼熱の魂 (2011/12/17公開)
TOHOシネマズシャンテに行けば、50/50とハシゴが出来ることは知っている。
・永遠の僕たち (2011/12/23公開)
さらにはこれもシャンテでやってるんだが。ミア・ワシコウスカのショートヘア。
・ルルドの泉で (2011/12/23公開)
シルヴィ・テステューは「点子ちゃんとアントン」に出てるんだよ。
・ミラノ、愛に生きる (2011/12/23公開)
ティルダさんですもの。
・宇宙人ポール (2011/12/23公開)
タイトルだけでわくわくするじゃあないですか。

このなかで優先させるなら、「灼熱の魂」と「ミラノ、愛に生きる」になります。

うーん。来週にならないと今月の見通しがたたないので、ひたすらリストをのばし続けるのみだ。


11日(水)
本日、ばあちゃんが特別養護老人ホームに入居いたしました。

昨年秋ごろから具体的に考えはじめ、年末には入居決定、あいかわらずこっちが動けば事態はよい方に転がってくれるという好例のような、いってみればとんとん拍子。ただ、今年にはいってから母がかなりナーバスになってました。父がそれに気づいたらどうしようか、説明してみるしかないから理論武装してはみるけれど、ことばによる意思疎通がほとんど不可能な父には通じない、こっちのことばは通じないのに、父が自分を罵ることばははっきりしてる、怒鳴られるし責められる、家にふたりしかいないときにそれが起こったら逃げ場がない、結局父の介護は残る上にその父からの攻撃にも対処しなければいけなくなる、といった感じ。それにばあちゃんへの申し訳なさと、ばあちゃんと離れることへの寂しさも加わって、体調まで悪そうに。

でも結局、すこし長めのショートステイだと思えばいい、じっさい去年からばあちゃんは半分くらい家を離れていたようなものだし、というところで、すーっと気分が楽になってくれたようです。やれよかった。

つまるところ、ばあちゃんの介護は施設通所と短期入所を使ういまの状態がたいへんうまく回っていたので、家族としてもこのままを続けたかったわけです。手がかかるのは父のほう。父の介護をすすめやすくするために、ばあちゃんに特養にはいってもらう、そういう選択でした。父よりもばあちゃんを世話するほうがよっぽど手間かからないっていうのにね。

今後は父のディサービスをふやして、ゆくゆくはショートステイを目論むことになるでしょう。父の現在のディサービスは母の勤務日に合わせているので、実質、母が父から解放される日はまったくないわけ。これでよかろうはずがない。ほんとに父が入所できればどんなにか。そうはいっても、長い目でみると、ばあちゃんの入所がベストなのだとは思います。父が自分の病気(パーキンソンのほう)をばあちゃんに知られまいとしていたせいで余計な緊張を強いられてきたわけだし。去年、ばあちゃんがショートステイを利用しはじめた当初、やっぱり父がかりかりして母をびくびくさせていましたけれど、半年もかけずにだんだん不在に慣れていったし。ちなみにショートステイ定期利用のきっかけとなったのは、レスキュー隊によってドアが切りとられた2階トイレの改修です。結局いつだっておまえが原因なんだ!

ところでばあちゃんが入所したのは、母方の祖母とおなじ施設でございます。階はちがいますけどね。祖母にたいしては「まあ、年に2回くらい顔だせばいいんじゃね」という気分でしたが、ばあちゃんがいると思うと「月に1回はばあちゃんに会いたい」と思う、まあ、いっしょに暮らしていた家族としての意識の差、情の差、でしょうか。当面のあいだ「ババはどこ行った」「お泊りだよー」作戦をとる関係で、ばあちゃんを家に連れ帰ることもあると思うのですが、どうだろね、父さえクリアできれば、だんだんばあちゃん恋しの気持ちもうすれていくものかもしれんよ。


12日(木)
おととしは、服飾を購入する月を年に4回と定めていました。いちおう、その定めた以外の月によけておいた金額を予算としたんですが、結果としてその予算はたいして守られはしなかった。そんなわけで、去年は買いたいときに買ってみることにしてました。するとどうでしょう、12月には通帳の残高が一桁足りないんじゃないのこれってありさまに。

で、今年はものすごくおおざっぱに、年間の予算を決めてみました。なかなか大きい金額のつもりでいましたが、12ヶ月で割ってみた一月分の予算をみると、ううむ、去年はどんだけ野放図に放出していたのでしょうか。特に後悔はないんですけど、この先の年月をかんがえると、自分にかける金は先細るようにしていかないと。どうせ毎年買わずにいられないのだったら、単価を下げないと。あ、あとちょっとべつの話ですけど、食費を削りたい。単純に食べる量を減らしたい。

シンプルに、身軽に、つまりは自在に、生活していきたいなというのは、ここ3年ばかり意識しているので、けっこうなんとなく、自分の望むかたちが見えてきた気もするのですけれどもね。


15日(日)
先日、めがねケースが行方知れずになりまして。休日に使っていたバッグから、出勤用のバッグに移したと思っていたんですが、手でさぐってみてもないし、がばっと開いてのぞきこんでみてもない。はて、と思っていたんですが、翌朝になってみたらふつーにその出勤用バッグのなかにありました。

で、きのう14日、中高時代の友人たちと飲んだんですが、お店をでるときになり、はたと気づくと靴箱の鍵がない。いちどバッグのなかのものすべて出してみても、ない。美術館に勤める友人が「ロッカーの鍵を失くした!ってやってくるお客さんの9割は、結局自分でもっている」というのをきくまでもなく、自分でもこのバッグのなかにしか入れてない、と確信しているんです。でもいちおうダウンジャケットのポケットもさぐって、いややっぱりこのなかに、と2回めのバッグ中身全部出しをやってみたら、ふっつーにありました。

なんでしょう、注意力散漫ってこと?

めがねケースの場合は、大きさからいって手も目も見過ごすはずがないと思って中身全部出しをやってなかったし、鍵の場合は手袋の中にひっかかっちゃってたのかな、と思いますが。


17日(火)
お昼にネギらーめんを食べた店、ちょうどレジのいちばん近くの席だったんですが、勤め人風の男性と会計の店員さんの会話が耳にはいってきました。「いまニューヨークかカイロになるんですが」「じゃあカイロ」「はいカイロで」。なんだろう、お店のポイントカードを溜めたら海外旅行チケットが当たるキャンペーン中なんだろうか。自分の会計のときにレジの背後をにらんでみたけれど、抽選箱とかチラシとかそんなかんじのものはなく、しいていえばチラシティッシュみたいなのがプラ容器のカゴに並んでいました。

で、家に帰って母にその「?」を話して、部屋着に着替えながら反芻し、きゅうに正解に気がついた。

話はかわりますけど、猫。自分は犬か猫か問われたら犬好きで、でも双方とも特別に好き好き大好きってことはなく、ただ人見知りの赤ちゃんが自分に懐いてくれたら感じるような誇らしさを、犬猫が愛想よくしてくれたらほんのり感じる、そんな程度です。

ゆうべの帰宅時、団地の入り口でちょうど車がでてくるところだったので、道のわきに立ちどまってました。で、気づいたら猫の声が「なーお」だか「ふにゃーお」だか、繰りかえし繰りかえし聞こえてる。車が去ったので歩を進め、はてどこの子が啼いてるのか、と思ったら、その車がでてきたむかいのお家の駐車場、そこの家の車とプランターのあいだにいました。で、なーお、なーお、と定期的に啼くもんでちょっと立ちどまって「あれあれ、どうした」と声をかけました。声かけたあとで、怪我してるとか、そばに生まれたての子猫がいるとか、そんなんだったらどうしようと思いましたが、ひとりで啼いてるだけなので、そのまま自宅方面へ。数メートル歩いて気づいたんですけど、声がまだする。啼きやんだと思ったら、移動する気配がする。んっ?とふりかえったら、猫、ついてきてる。

あれー。なんだろう、やっぱりなにか緊急時なんだろうか。そうはいっても、距離をおいてついてくるだけで、どこかに導こうとするようすはありません。なーお、なーお、とついてくる。「え、どうした」と言ってはみましたが、どうしたもんだか分かりません。そのまま歩きつづけ、追いかけられ、自宅に隣する公園でいっかいきちんと立ちどまってみました。そしたらはじめて進行方向まで回りこんで、そこでごろんと転がっておなかをみせるんです。はじめてみたぞ、あんなに完璧な「ごろにゃん」ポーズ。団地のなかで、ちょくちょく猫には会いますが、区別がつくほどでもなし。おまけに夜なのでよくみえない。たぶん黒と白の、ちょうどついてきた道の並びでたまに見る子かもしれないけど、わからない。少なくとも、こんなに甘えられる覚えはないので、「どうしたこれ、酔っぱらってるのか」と動揺。

「どこの子ですかきみは」「あのね、うちは猫だめなんです」「いや、だめなんで」「だからどこの子なの」としばし突っ立ったまま声をかけましたが、どうにもならず。結局家までついてきてしまいましたので、そこであらためて、「だめですよ」と言ってみたんですが、家のなかに入ると玄関のドア前でなーお、なーお、がはじまってしまいました。「ごめん、なんか、声かけたらついてきちゃった」と廊下に顔を出した母に言ってみましたが、もとより母とてどうしようもなし。

ちょうど、父の訪問看護が入っていた日なのですが、血圧が高く、入浴をとりやめた、もし夜もまだ高いようだったら、病院にかかるようアドバイスされたと、昼ごろのメールできかされていたところでした。そこはかとなく落ちつかない気持ちで家に向かっていたんですが、その「そこはかとない不安感」が人恋しい気持ちでいた猫と同調しちゃったんでしょうか。さきに声かけちゃったのはこっちなので、なんともいえず、どうしようもなく。しばらくしたらいなくなったようですが。で、父の血圧は平常にもどり、耳鳴りがするそうで、脚はむくむくしてた。

明けて本日、父の通院日、母が連れていきました。パーキンソン病のかかりつけ医なので神経内科です。別の病院の内科を紹介されるかな、と思っていたそうですが、結局今回も血圧は平常、耳鳴りもむくみもふつうに起こりうることだし、なにか問題でも?ってかんじだったそうです。安心したというか、肩透かしというか。で、きょうの帰り、おなじ道の途中で猫の声がしましたけど、姿はみえず、そのままひとりで家までたどりつきました。べつにそれだけなんですけど、書きだしてみたら思ったより長いっていう。

さて「ニューヨークとカイロ」です。おそらく正解は、「入浴(剤)とカイロ」。たぶん「入浴」と略すことはないだろうから、「剤」を自分がききおとしたんだと思います。後半の「カイロ」をさきに拾ってから、前半を「ニューヨーク」と定義してしまったのかも。

「アメリカとエジプトってなんかバランス悪くね?」「カイロ、カイロ、ホッカイロ?」と考えていたらたどり着いた結論。どうでしょうか、最初の時点で気づきますかね。


19日(木)
母がまわりの友人から、ばあちゃん入所の判断を褒められてるっていうか強烈に支持されているっていうか、とにかくそんな感じみたいです。身内がいうより効果があるのでありがたい。人の厚意で生きている。それでも父が「ババはどこに行った」というたびに怯えてしまうようですが、いまんとこ父のその発言もふだんの調子なので、まだまだだいじょうぶである。

わたしは自分を守るためには周囲を攻撃することもやむなしと思うし、まして周囲が自分にたいして攻撃的ならばなおのこと、容赦する必要なしって考えなのですが、しかし母はそれができない人なのだなと、ここ数年でつくづくと。自分のなかに悪意を蓄えることに耐えられないのだと思っていたけれど、ほんとうに、単純に、悪意を育めない人だったようです。ばあちゃんのなかにも、父のなかにも、自分を防護するための悪意はあきらかに存在していて、わたしはそっちの血が濃いようなので耐性があるわけですが、素養のない母にはそれらに対抗するのはほんとにしんどいことなのだな。それでも同居の年数分だけ、ばあちゃんのとげとげ悪意が小さくなってまるまるつるんとしてきたのは、母の功績だと思います。

本日は父の認知症専門のほうの病院に行く日でした。といっても毎回本人を連れていく必要はなく、基本的に母が行って情報をかるく報告っていうか聞きとりしてもらって、薬を処方してもらう流れです。自分もおやすみだったので車をだしました。そこの先生、初診のときからその風貌と滑舌の悪さで「認知症専門病院の医者が認知症っぽい」と母娘のつっこみを独占しております。いつだってはだしにサンダル履き。

デイケア併設の病院で、診察待ちのあいだに昼食の時間になったのか、カレーの香りが胃につきささってきたので、お昼はカレーを食べました。とくにまとまりなく終わる。


20日(金)
22日に会期終了の展覧会に行くつもりだったのですが、雪のためあっさりあきらめる。

そして雪もあっさり雨に、と思ったら雨のなかちらほら舞ってたり。雪まじりの雨がいちにち続いたかんじですね。ちなみに霙ではないと思います。霙はシャーベット様のものがぺちょぺちょ降ってくるのだ。本日は雨、のなかにときどき雪、が降っておりましたので。

手帳にそれっぽいメモ欄があったから、というだけの理由で、月の映画鑑賞本数をそのメモに合わせて設定しています。しかし映画館鑑賞はむづかしい本数なので、DVD鑑賞もふくめた数ってことで。今年はいってから「月に囚われた男」(Moon / 2009年イギリス)、「この森で、天使はバスを降りた」(The Spitfire Grill / 1996年アメリカ)、「(500)日のサマー」((500)Days of Summer / 2009年アメリカ)を観ました。のんびり充実したペースです。

ちなみに目標本数は下限ではなく上限です。あと数本は映画館にいけるといいなー。


22日(日)
うらわ美術館「アートとブックのコラボレーション展」に行きました。図録を買ったらポスターももらえます(数に限りがある断り書きがありましたが、本日が最終日)。今年、自室用に壁かけカレンダーを買っていないので、壁面がぽかっとあいているところがあるんです。せっかくなのではっつけてみた。そしてポスターはリバーシブルです。図録2冊買ったら2枚くれたのだろうか。

ちなみに図録もつくりが凝っていて、観音開き仕様。1800円は安い。

今年は不精をせず、おもしろそうなものがあったらきちんと外出する気でいますよ。足をのばす範囲は都内までというのが慣例でしたが、もうちょっとがんばるかもよ。


26日(木)
職場がはいっているビルのエレベータは大きいもので、扉両開き、操作ボタンも両側にあります。いいですね。たまにするっと入って扉脇におさまって、さあと思ったら反対側にボタンがあったりするものね。片開きだと、ボタンはドアが収納される側にしかないのかな? このまえ行った飲み屋のビルのエレベータはそうだった。あと祖母が住んでたマンションもそうだった。でもこないだのうらわ美術館は収納側とは逆にボタンがあった、かもしれないことをいま思い出した。特にルールはないんでしょうね。

ところでエレベータの「閉」「開」ボタンですよ。うちとこはそっぽむいた三角形と、にらみあい三角形で表現されているんですけど、自分けっこうな確率で押しまちがえる。で、それがエレベータはいって、ドアむかって右側に立ったときにだけ、まちがえてる。朝、各階のテナント社員のかたがたがもりもり乗ってくるなか、全力で閉じるほうのボタンを押してる(そして反対がわの見知らぬ人が開けるボタン押しててくれてる)。自覚してから数回人に話す機会があって、そしてきょうの朝も乗りこんで扉向かって右側に立って、それで気がついた。

ボタン配置は、左右で同じです。向かって左が「開く」、右が「閉じる」ボタン。

で、自分はどうやらとっさに「扉から近いのが『閉じる』ボタン」「遠いのが『開く』ボタン」と判断して、左側に乗ったときには左のボタン、右側に乗ったときには右のボタンを押してしまうらしい。

「とっさに」って出勤するたび乗ってるので覚えたってよさそうなもんですが、エレベータ乗降ってわりと無意識ですよね。点灯している階ボタンのなかで自分の階がいちばん早い(低い)場合、ハコが停止したら何階かも確認せず降りそうになるし、ていうか降りそうになって乗ってくる人(さらに低い階でエレベータを呼んだ人)とぶつかりそうになって、はっ、ここは何階!?と気づくし。

あとお昼によくあるのが、降りてくるハコと昇ってくるハコの取り違い。いちどロビー階から上に戻ってる最中で、ある階にとまったところ、何人かが「あ、きたきた」と乗りこんで、同じ階には数人待ちが出てたけど最初の集団だけを乗せてドアがしまって、ぐうっとなった瞬間その人たちが「あれ上!?」とびっくりしてた。ということは、本来上行きに乗るべきだったのは残されちゃってたほうの人たちなんである。察するにこの人たちは、エレベーターホールにきたら「呼んでないけどちょうど来た!」と思って乗っちゃったうっかりさんたちなんである。つぎに停まった階でおりてゆきました。自分もこのくらい無意識に、「ひらけ!」と閉じるボタンをおしているみたい。

三角や矢印ではとっさに読みとれないかもしれないし、「開」「閉」はそもそも似ている。というわけであの操作ボタン、「待つ」と「行く」にしてみたらどうだろう。「いっしょ」と「お先」でもいいけど。


27日(金)
フィギュアスケートシーズンも後半。欧州選手権も気になりますが、関心事はなにをおいても全米選手権〜仁義なき一発勝負〜でしょう。

3枠獲って帰る!とシズニーが宣言してくれた去年のワールド、フラットの失速もあって結果は2枠のまま。今年のGPSの感触から、そのフラットは調子があがらなさそう。ここはシズニーと、そしてようやくのワグナーだとうれしいけど、爆発力があるのはナガスだし、と思っていたところザワツキーがトップでSP折り返し。さあああどうなりますか。シズニー、ナガス、ザワツキーとか、シズニー、ザワツキー、ワグナーとか。えええまたしてもワグナーびみょう! で、男子はふつうにかんがえたら頭抜けてるアボットが、去年のあれやそれやこれの張本人で。おまけにその結果、現在世界選手権の枠は2枠で。アボット、マイナー、リッポンで予想しときますか。希望としてはアボット、ムロズ、キャリエール。キャリエーーーーーーール! これじゃ希望通りにいったとしてもキャリエールはワールドに出られんじゃん! アボットはなんとしてでもワールド上位にはいって3枠に貢献すべきである、そうである。

母と都内へ映画に出かける予定だったんですが、朝から父の口腔であれこれあって、プランBとして埼玉県立近代美術館におでかけ。アンリ・ル・シダネル展をみてきました。暗かったり明るかったりする絵の光が、つねに「ほのか」な感じ。ほの暗さとほの明るさ。展示のための落とした照明のなかではさみしそうだった色彩が、絵葉書になったのをみたらわりとがちゃがちゃしてみえる作品もあったり。いちばんすてきだった「月明かりのなかの輪舞曲」(リトグラフ)がグッズにはなかったのがちょっと残念でした。


28日(土)
自室の空調が、暖房として役立たずではないかという疑念。四畳半で設定温度24℃にしても、指先と耳たぶの冷えが改善されない。六畳で設定20℃のへやとくらべて、あまりにも寒い。あんまりにも、寒い。

そしてきょうはきのうの予定しきりなおしで、「灼熱の魂」鑑賞に行ってまいりました。みたもの読んだものの感想はどうしようかなと思っているんですが、月末にひとこと沿えてまとめるかもしれません。ひとことじゃなくなるものも、時間をおいたらひとことになるんじゃないかと思うのです。

しかし耳たぶ冷たい。


29日(日)
寒くて眠い。

あすの気温予想(予報?)をみてあまりの寒さに眠たくなっています。へやの空調は25℃設定にしてもなんかあまり変わらないっていうか、ごーごーいうんだけど空気はつめたいまま。自室より兄のへやのエアコンのほうが古いんですが、そっちのが効きがよいようで、ほっこりあったまるみたいです。空調が力不足なのか、北向きのへやが強力に冷えているのか、どうなんだ。


31日(火)
父が水曜日とはべつのディサービスへ初通所。連絡帳で「入浴」は中止に○ついてました。「声かけはしたんですけど……」とのことです。どうだろう、嫌がることはないと思うんですけど。ときどき、極端にことばがとんちんかんなので、最初の意思疎通がうまくいかなくて、誘導として「お風呂はいらないでいいんですか?」ってことばできいてしまうと、「はいらないでいいんです(オウム返し)」で応えるだろうから、そのあたりが原因では?とは母の予想。ちなみに本人に「はいらなかったの、どうして?」ときくと「どうしてだろうな」でおしまいになります。人から話しかけられた際に、父が駆使するのは「相手の語尾を自発的な発言のように加工して返す」こと。たぶん、それほど認知症が進んでないときなら、これで充分「会話」っぽくなったんだと思います。一方、父が自発的に話しはじめると、なんというか、異次元です。全部が全部じゃないんですけど。なまじ日本語の語彙でしゃべるから、本来のことばと、父が使う場合の概念の切り取り方の隔たりが、もう。

それはともかく、ようやく本日、母が時間と空間をひとりきりで持てたのですよ。ばあちゃんとの同居がはじまってからかんがえると、じつに、じつに久しい、家にひとりきりの時間。生活音にいちいち誰何の声をあげられることもなく、家内と家人の安全や後始末に気を揉むこともない空間。まずは「なにもしないでいい」を満喫していただきたい。数時間だけれども。

ひとまず、きょうの施設は火曜・日曜の利用を予定しています。じつをいえば祖母ふたりが入居しているホームとおなじところです。3人まるっとお世話になります。あの、なんなら父とばあちゃんのポジションをいれかえたっていいんですけどー。ばあちゃんが入所してあすで3週間です。さすがに本日、父から「どこ行った」ではなく「いつ帰る」がでたので、金曜日にいったん家に「外出」していただきます。



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